〇〇と日本人 1 バナナ

甘くておいしい、皮を剝くだけで簡単に食べられる。

手も汚れないし、お手軽な果物といえば、バナナ。

そんなバナナから、なんと「南北問題」にも似たような構造的搾取の歴史と、日本と東南アジアの歪んだ関係がみられると世に問うた名著があります。

『バナナと日本人』 鶴見良行著、岩波新書 1982年刊

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副題に「フィリピン農園と食卓のあいだ」とあります。「食卓」には、「日本のごくありふれた一般家庭の食卓」という含意があると思います。

日本人のバナナ好きが、アメリカ3社+日本1社の多国籍企業の権益戦略を潤し、そして、バナナの生産地であるフィリピンの貧困を誘発させ、いわばアジアにおける「南北問題」を生み出した。

筆者の文章から言えば、安くておいしいと思って日本人がバナナの皮を剝けば剝くほど、多国籍企業が暗躍し、フィリピンの農園労働者は貧困に苦しんでいくという構図がこの書籍が刊行された時代にはあったという話です。

またそういったことは、明治以来から続く日本と東南アジアの歪んだ関係が背景にあると丁寧に記述されていて、あのバナナで、ここまで話が広がり深まるのか・・・と驚きながら読みました。

私は学生時代、社会学を専攻していましたが、国際関係論を学ぶなら、この本は必読だよと薦められたものです。

今読むと、40年も前のことではありますし、ここで書かれているほどの残酷な負の構造は少なくなっているとはいえ、豊かさとは何か、何かを享受するときには、そこに至るまでどのくらいの見知らぬ人々の喜怒哀楽があってのことか、何かを作ることの意味とは何かを考えさせられるような本だと思います。

バナナは栄養価の高い食物です。ということは、それだけバナナを栽培するには大地から相当な栄養を吸い取っての、あの実りだと言います。栄養を吸い取られた大地は、回復するために一定の休息が必要です。しかし、日本人のバナナ好きを満たすために、輸出すれば、それだけそこに絡む企業が潤うからということで、大地の回復を待たずにすぐ栽培を始める・・・しかしながら、ブームはブーム。需要は落ち着けば、供給過剰になるのは世の常。そうなったあとに残されたものは、衰弱しきった土地。現地の農家にとってみれば、生きるすべを失ったようなもの。そこで更なる貧困を生む・・・やるせない話です。

といっても、だからバナナを食べることは悪だ!とは思いませんが、せめて、自分が生きているのは、自分だけですべて自己完結しているのではなく、見ず知らぬ人たちの犠牲ともいえる何かに支えられているんだという気持ちは持ちたいものです。

この『バナナと日本人』は岩波新書が出ていますが、その別バージョンとも言える『エビと日本人』(村井吉敬著、1988年)というのが出ています。

これもまた世界一のエビ消費国である日本が、自分たちで養殖するのではなく、ほとんどを輸入に頼っており、その輸入先である東南アジアや台湾との関係が、「バナナと日本人」を彷彿させるような歪んだ関係になっていることを指摘しています。発展途上国に恩恵が還元されないという構造的な問題を深く考察された、これもまた国政関係論を学ぶにあたって参考になる良書でしょう。

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読書歴には、その時々のマイブームと言うか、なんか妙にハマった作家なりジャンルなりで、しばらくそれを読みふける・・・と言うことがあるかと思います。。

海外で日本語教師をしていた時、会話や作文の授業以外に、「日本事情」や「日本文化」というような科目も担当していました。その授業のためということもあって、〇〇と日本人というようなカテゴリーで本をいろいろと収集していました。今も、書店や新聞などの書評で、「〇〇と日本人」なんて見かけると、おっ!と思ったりします。

ということで、時々、ここで「〇〇と日本人」というカテゴライズで、読後感などを書いてみようと思っています。

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