文化系と卒論とマラソンと。(前編)

※思ったより長くなってしまったので、前後編に分けて書くことにしました。

俺は中学生のときに、「アニメメジャーの再放送が面白かったから」という理由で野球部に入り、当然レギュラーにはなれず鬱屈とした3年間を過ごした。再放送していたのがメジャーではなくスラムダンクだったらバスケ部にでも入っていただろうか。とにかく、それからというもの、運動が嫌いになり高校生の時に軽音楽部に入部し、そのまま大学でも軽音サークルに参加してみたり、外バンなるものを組んでみたりして生活していた。

特に体育のなくなった大学時代は、かなりの運動不足になったが、それに対する罪悪感などかけらも無かった。しかし、ただ1人だけその状況を憂う人間が身近にいた。父である。

彼は本当に俺の父親なのか疑いたくなるほど活発で、家族のアルバムを見返すとフットサルにロードバイク、さらには遊泳大会の写真まであるほどだ。大学3年生になった2018年のある日、そんな彼がこんなことを言い出した。

「親戚一同が集まるキッカケになるよう、12月の那覇マラソンに年1参加する」

なんだそりゃ。普通に会えば良いじゃない。ただ、こっちには「学校のテスト近いからその日は行けない」という最終手段の言い訳があった。かくして2018年はマラソンを避けることができたのである。

しかし時が移ろい2019年の5月。就活も早めに終わり、卒論以外の単位を取り終えていた俺に、もはや逃げ場はなかった。

「今年が1番時間あるから練習しろ」

かくして、時間があればランニングする日々が始まった。ひとまず家から3キロほど先の公園まで走ってみるが、息がもたない。足がすぐ動かなくなる。ほぼ散歩である。しかも、当日はこの何倍もの距離を走らなければならないとなると、途方に暮れた。そこから逃げ道を作るように突発的に短期バイトを始め、7、8月の2か月間ほぼ毎日と言っていいほどシフトを入れ、ランニングをサボる口実を作った。

そんな感じで現実逃避していたが、9月に入るとそうもいかない。残りあと3か月。どうしようか。

しかしここで全く関係ない問題が勃発する。卒論がほとんど進んでいなかったのだ。いや、どちらかと言えば適切な指導を受けられず、かといって他のゼミを参考にするという努力も怠っていて、卒論の方針の固め方がわからない状態だったのだ。半分は自分のせいでもあるのに極度の人間不信と卒論が終わらないのではという不安感でいっぱいだった。

そう言った不安感を振り切るように、俺はマラソンの練習量を増やした。当初やる予定だった7キロ走を10キロに変え、ほとんど毎日繰り返した。もちろん前述の通り体力がそんなにないので初めは歩いた距離の方が長かった。しかし、呼吸法や着ている服、そして靴と靴下を見直すなど、あらゆる方法を試していくうち、どうにか歩かずに家に帰れるようになった。

冬になるにつれて、喉が裂けそうなほど空気は乾燥していった。それと同時に、卒論にも心が張り裂けそうなほど追い込まれた。「裏垢なるものが理解できない。」というタイトルで1、2年前に記事を書いたのにも関わらず、裏垢を作りほぼ毎日不安を吐露していた。

https://note.com/okisi_toru/n/nc53e5b643d24

ただ、この時にはランニングがすでにルーティン化しており、距離も15キロほどに伸びていた。なるべく長い時間卒論から目を背けようとして本能的に体力が付いたのだろう。ともかく、その時にはハーフマラソンは確実に走りきれるくらいの体力を手に入れていた。

(日付け変わってましたね…後編へ続く)

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