8 プリンに安全ピン(試し読み)

「ちょっと刺したくないんですけど……」と言えればよかった。それだけなのだ。

 久真八志(くまやつし)というのはペンネームである。普段はこの名前で短歌を作ったり、短歌の評論を書いたりして発表している。二〇一三年、なんと「現代短歌評論賞」を受賞した。僕の人生では数少ない晴れ舞台である。そこで、授賞式にどんな装いで臨むかという問題が浮上した。スーツは気が進まない。悩むうちに、ある選択肢が浮かんだ。和服はどうだろう?僕は主賓のひとりであるし、少しばかり目立ったところで問題ない、というよりむしろ遠慮なく目立つことが出来そうだ。

 趣味にしていたとはいえ改まった席で和服を着たことはなかった。調べてみると、紋なしの羽織袴が概ねスーツに相当するらしい。しかし羽織は安っぽいのが一着しかなかったし、袴は一着も持っていなかった。賞金も出るし、ここは一丁、新しい和服を買おう。

 自宅にほど近い立川駅周辺の着物店を回るうち、チョコレートブラウンの袴を見つけた。傷みもなく、既に持っているグレーの袷にも合いそうだったので買うことにした。古着屋で袴はあまりはけないのか、格安だった。しかし羽織探しでつまずく。気に入るものがなかなかない。男性の羽織を置いている着物屋は少なく、仮にあっても数点である。そしてほぼ柄なしの黒か茶か濃の生地でできている。茶色い袴にそんな羽織は、地味だ。

 件の「着物りさいくる工房五箇谷」で羽織とにらめっこしていると、袴を見た店員さんが合いそうな長着をいくつか持ってきてくれた。そのなかのクリーム色の一着が目にとまる。表に細かい織り模様が入っていて、糸に光沢があるのだろう、黄色みが強い生地が全体にふわっと光って夏の日差しのようだった。袴を合わせてみる。上は黄みのつよいクリーム色、下は濃いブラウン。これは……プリンの配色だ! ちょっと高級そうなプリン。明るさにメリハリを利かせつつ、暖色系を重ねることで統一感を与え、華やかさと落ち着きがほどよく調和した組み合わせは、授賞式にもぴったりだ。男性の正装のよくある雰囲気でないのも、きっと印象に残るはずだ。目立ちたいのはもちろんだが、新人として、式に参加する人たちに顔を覚えてもらいたいという気持ちもあった。それになにより、試着して鏡に映った僕自身が、明るい雰囲気に包まれ、人柄まで明るそうに見えた。この着物を着ていれば、みんな僕のことを明るい人間だと思ってくれるかもしれない。この時点で、もう羽織なんか着る気はなくなっていた。

 授賞式の当日は、家をでてから会場の如水会館につくまで、ずっと視線を感じた。プリン色の男がいるのだから当たり前だ。九月にしてはやや涼しかったのだが、それでも汗をかいた。会場への道すがらずっと酔っているみたいな高揚感があった。

 会場に着いて受付の女性スタッフに名乗ると、関係者と思われる人が集まってきて、おめでとうございますと次々に挨拶をしてくれた。内心では得意に思いつつ挨拶していると、受付の女性がリボンでできたバラの飾りを手渡してきた。受賞者であることがわかるようにバラ章を胸につけてほしいとのことだった。言われるがままにバラ章を胸につけようと裏返したとき、さっきまでニヤニヤしていた僕の顔は引きつった。バラ章を付ける金具が、安全ピンだったのだ。針を胸に刺さなければならない。僕はこの明るい印象の和服を着ることで、明るくなれると思っていた。自分はいま理想的な自分でいるのだと、かなり強く信じていた。それは間違いなくこの和服のおかげだ。それに傷をつける、イコール、理想の自分を傷つけることなのだ。それはとても、痛そうだ。安全ピンなんか絶対に刺したくない。

思えば学校の卒業式のときなどで似たような経験はしていた。しかし今まで服に針を通すことを気にしたことなんてなかった。クラスの女子は制服に穴が空くと文句を言っていた気がする。そんなとき僕は、いちいち気にする方がおかしいと思ってさえいた。でも今、僕は初めてこの安全ピンつきのバラ章を憎いと思った。

 周りでは、バラ章を手にしたまま動かない僕を、何人もの人が見つめていた。僕の心の中で声がする。空気を読め。今日は晴れの舞台だ。こんなに立派な格好もしてきた。 それなのに、細かいことを気にしているようなそぶりを、他人に見せるな。もし服に針を刺したくないと言ったら、スタッフを困らせてしまうだろう。そして神経質で器の小さい男だと内心馬鹿にする人がいるかもしれない。明るい人だと思われたいんだろう? 服を傷つけたくないなんてぐずぐずと泣き言を言うつもりか。安全ピンが嫌だと喚いていた僕の心の声は、もう一人の僕の低い声にかき消された。ぶすっ。僕はにこやかにバラ章を胸につけた。

 授賞式のときも、その後の懇親会でも、僕の和装を褒めてくれる人は多かった。和服を着るという選択は明るい自分をアピールすることに囚われて、嫌なことを嫌だと言うことまで自分に禁じてしまった。そのせ間違っていなかったようだ。しかし今も、あの安全ピンの針を刺さずになんとかする方法があったのではと考えてしまう。素直に、針を刺したくないと申し出れば良かったのかもしれない。馬鹿にされるかもしれないだなんて、僕が勝手にそう思い込んでいただけなのではないか。結局のところ、他人の目線とは僕自身の目線なのだ。僕は自分が明るい人間ではないことをわかっていたからこそ、明るい男性を演出したかった。
明るい自分をアピールすることに囚われて、嫌なことを嫌だと言うことまで自分に禁じてしまった。そのせいで、クリーム色の長着の小さな穴と、大きな悔いが残ったのだ。


===

全12編を販売しています。300円。

→こちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?