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ポッドキャスト番組「沖縄音楽情報交換所」 Episode 2 「現在進行形で進化するレジェンドハードロックバンド・紫♪」(テキストバージョン)


ポッドキャストはこちらからお聴きください♪


はいさい!ぐすーよー!
ポッドキャスト番組「沖縄音楽情報交換所」第2回目、Episode 2 のスタートです!
この番組は、その名の通り、沖縄の音楽に関する情報や楽曲をジャンルや沖縄県内県外問わずご紹介したり情報をお寄せいただいたりする番組です。

沖縄民謡・沖縄ポップスはもちろんのこと琉球古典音楽やロック・レゲエ・ヒップホップ・テクノ・フォーク、その他いろいろ、とにかくジャンルに縛りを設けず、メジャー・インディーズ問わず、沖縄に関係する音楽を現役ミュージシャンである僕の視点で分析したり曲にまつわるエピソードを交えてお話したりしながら独断と偏見たっぷりに進めていこうと思います。

お届けするのは、東京在住の沖縄出身シンガーソングライター・作詞作曲家・編曲家・音楽プロデューサー・三線奏者・ボイストレーナーの岡村聡士です。肩書き長くてすみません!

さあ、第2回目、Episode 2 でご紹介するのは、沖縄の伝説的ハードロックバンド「紫」です!
本当は月曜日に配信したいと思っていたんですが、諸事情で遅くなりました。
まあ、自分に無理無い範囲で柔軟にやっていこうと思っているのでご容赦くださいね。
Episode 1 でご紹介した琉球古典音楽の照喜名朝一先生から一気にジャンルは飛びますけれども、僕自身にとっても多くの沖縄ロックファンのみならず多くのうちなーんちゅにとっても沖縄の音楽を語る上で欠かすことのできないスーパーバンドだと思います。

まずは簡単に紫のヒストリーをご紹介しましょうね。
バンドの結成は1970年、ジョージ紫さん、城間俊雄さん、城間正男さんらで結成されたようです。
その後様々なメンバーが流動的に参加する中、71年に下地行男さん、72年にChibiさんこと宮永英一さん、73年に比嘉清正さんが加入します。
そしてこのメンバーで1975年8月9日、大阪で開催された「8・8ロックデイ」というイベントに出演。沖縄のロックバンドとして初めて本土上陸を果たします。
コザや金武町(当時は金武村)といった基地の街の米兵相手のクラブで演奏する日々で磨かれた卓越したテクニックとサウンド、そしてメンバーのほとんどがハーフという日本人離れしたビジュアルで、本土のロックファンの度肝を抜いたそうです。

そして1976年4月、ついにファーストアルバム「紫」をリリース。
立て続けに翌77年1月にはセカンドアルバム「IMPACT」をリリースし全国各地のライブツアーや音楽イベントへの出演を続けますが、1978年、その年にアメリカでのレコーディングやヨーロッパ各国でのレコードリリースが予定されている中メンバーの脱退が相次ぎ、1981年にバンドは解散となります。
その後、メンバーそれぞれに独自の音楽活動を続けます。

1983年に恩納村で開催された第1回ピースフルラブロックフェスティバルで一時的に再結成しそのライブの模様がCD化されたのをはじめとして、その後メンバーを変えながら何度か再結成が繰り返されました。

そして2007年、キーボード・ジョージ紫、ドラムス・Chibiこと宮永栄一、ギター・比嘉清正、同じくギター・下地行男、ヴォーカル・JJ、ベース・Chrisというメンバーで再結成され現在に至ります。

もっと細かく歩みをお伝えしたいのは山々なんですけれども、そこは紫のオフィシャルサイトやWikipediaなどでじっくりご覧いただければと思います。

さて、それではここで、伝説のハードロックバンド・紫のファーストアルバム「紫」の1曲目に収録されていますこの曲をお聴きいただきましょう。
紫といえばまずこの曲!と言っても過言はない代表曲だと思います。
「Double Dealing Woman」、どうぞ!

紫で「Double Dealing Woman」、お聴きいただきました。
いや~、印象的なイントロのツインギターのハモリのフレーズ!もちろん今聴いてももの凄くカッコいいですね。
マジで外タレバンドですよ、ホント。

実は僕、ほんの少しだけですけれども、紫のメンバーと接点がありまして。
今から30年以上前、高校生の頃、僕が同じ学年(同級生)と組んでいたハードロックバンドがありました。
3つの高校のメンバーが集まった、当時の那覇の高校生バンドのアベンジャーズ的なと言ったら大袈裟ですし自分で言うのもおかしいですけれども、まあとにかく力のあるメンバーが集まったバンドだったんですよ。
ちなみに僕はボーカルとサイドギターでした。
で、ある日そのバンドでライブハウスのオーディションを受けたんですが、それが紫のChibiさんこと宮永英一さんが当時、宜野湾市の大謝名にオープンしようとしていたライブハウス「Z」でした。
まだ内装もできていないコンクリートむき出しのステージだったんですが、そこに現れたChibiさんの存在感に僕ら高校生バンドキッズは圧倒されましたね。
「ちょっとウォーミングアップしようね~♪」と言って両手に鉄パイプをふりふりしながら現れたChibiさんは、その鉄パイプをスティックに持ち替えてツーバス仕様のドラムセットにブーツのまま腰掛け、10分15分くらいかな~?もしかしたら20分くらいあったかもしれないな~激しいドラムソロ!もうバンナイ!
そのパワフルさたるや!うちのドラムはもちろん、僕らメンバー全員が体育座りして瞬きを忘れるくらいの気持ちでステージを見上げてました。
その時のドラムのバスドラのヘッドにはコンディショングリーンのドラムのEtsuさんの名前が書かれていたということも含めて、その光景を今でもはっきりと覚えています。
その後、僕らのバンドの演奏をオリジナル曲含め2~3曲聴いてもらって、めでたくオーディションに合格しました。
で、お店がオープンした後は、週1~2回演奏をしなさいね~という話になったんですけれども、その話し合いをした近くの喫茶店で紫のギターの比嘉清正さんも合流して、僕らはさらにテンション上がったんですけれどもね。

ただでもね、実は僕、そのあとすぐにそのバンド辞めちゃったんですよ。
理由は僕のわがままというか、若さゆえというかね9— ・・・。
一番大きな理由としては、そのライブハウスには那覇市内の自宅からバスを乗り換えて通わなければならなかったということでした(笑)。
他のメンバーはみんな原付バイクを持っていて、それで行き来できたんだけど、僕は持ってなくてね。
ハードロックバンドのボーカルが毎回バス乗り継いでライブしに行くっていうのが、なんかどうしても自分の中で納得できない部分もあってね。
他にも自分自身のハードロックバンドのボーカルとしての実力に対する疑問みたいなのもあったような気はするけど、大きな理由はバス通勤でしたね。
今考えるとなんだかな~?ですよね。
当時メンバーにはどういう風に伝えたのか、それを正直に言ったのかどうかも覚えてないんだけど、メンバーにもChibiさんにもご迷惑をおかけしたわけです。
その後バンドは、Chibiさんの紹介で新たなボーカリストを入れてどんどん活躍し、コンテストに出場した時も陰ながら応援に行ってみたりしたんですけどもね。
あ、そのコンテストのひとつに、ジョージ紫さんの息子のRayくんやLeonくんが当時中学生で組んでいたバンドも出ていてね、そのステージを関心しながら見た記憶がありますよ。
でもまあ、メンバーとChibiさんにご迷惑をおかけして申し訳なかったな~という思いは、その後も僕の心の隅に残り続けていて、ずーっと引きずってましたね。

で、それから20数年後、横須賀で開催された沖縄イベントで、僕はChibiさんと再会します!
自分も出演者の一人だったんですが、Chibiさんもあるユニットで出演されていまして。
Chibiさんが会場入りしたところを見つけた僕は、速攻でChibiさんの控え室へ走りました。
そしてご挨拶とともに、20数年前の非礼をお詫びしました。
当然のようにChibiさんはそんな20数年前に1度しか会ったことのない高校2年生のことなんて覚えているはずもありません。
「あ~、そうだったんだね~。でも、今も音楽続けているんでしょ?それは良かったさ~!もう出番終わったの?あいや~、見たかったな~」
なんて言ってくださいまして。
とても嬉しく、心が半分軽くなった1日でした。
その後、偶然六本木のお店でもお会いしたんだけど、それからまた10年くらい経っているから、Chibiさんは僕のこと覚えてらっしゃらないと思いますけどね。

ちなみにそれとは別に、ジョージ紫さんは、僕がまた別のバンドで高校3年生の時に出場したバンドコンテストの2次審査の審査員で、高校生バンドで唯一僕らのバンドを県大会本戦に通過させてくれました。
直接はお話してませんが、もちろんお会いした時はテンション上がりましたよ。
あ~、もう自分の話はこれくらいでいいですね。
しゃべりすぎましたね、すみません(笑)

では、ここでもう1曲。
紫のセカンドアルバム「IMPACT」から「DOOMSDAY」。

はい、紫のセカンドアルバム「IMPACT」から「DOOMSDAY」お聴きいただきました。

紫といえば、昨年沖縄で公開された映画「紫~MURASAKI~伝説のロック・スピリッツ」が今月1月13日テアトル新宿を皮切りに沖縄県外での上映が始まりました!
テアトル新宿での上映はもう終わってしまいましたが、僕は先日、アップリンク吉祥寺で観て参りましたよ!
これまでの紫の歩みや当時の時代背景はもちろん、裏話や、紫に影響を受けた日本のトップミュージシャンたちのインタビューそして、現在進行形で進化する紫のこれからへの期待、とても良かったです。

監督の野田孝則さんは2020年に公開された沖縄の喜劇の女王・仲田幸子さん主演の映画「なんくるないさぁ 劇場版 ~生きてるかぎり死なないさぁ~」の監督でもありまして、実は僕もその映画の主題歌とエンディングテーマのアレンジや劇判(劇中の音楽ですね)の一部を作編曲させてもらいました。
野田監督自身が元々ミュージシャンだと仰っていたので、この紫の映画は言わずもがなですね。
今後、東京だけでなく、名古屋・大阪・京都・神戸・宇都宮などで映画は上映されていくようですので、ぜひ映画の公式サイトをチェックしてお近くの劇場でご覧ください。

さあ、それでは、もう1曲聴いていただきましょう。
「DOIN’OUR THING at the LIVEHOUSE MURASAK」というライブ音源を集めたアルバムから「ROCK’N ROLL NIGHT MARE」。

はい、紫の「ROCK’N ROLL NIGHT MARE at THE LIVEHOUSE MURASAK」聴いていただきました。
ポッドキャスト番組「沖縄音楽情報交換所」Episode 2、「現在進行形で進化するレジェンドハードロックバンド・紫」いかがだったでしょうか?

映画でも描かれているように、紫は伝説でありながら今現在も進化し続けている現在進行形のバンドです。
現在Bassを務めている最年少メンバー・Chrisがそこに大きな貢献をしていると思いますが、だからこそ敢えてこの場を借りて僕の希望を伝えておきます。
え~、面識も無いですけどね(笑)
今現在Spotifyなどのサブスクで聴ける紫の音源は今回ご紹介したファースト・セカンドアルバムなどほんのわずか。50年近く前の音源ばかりです。
できることなら映画で使用された作品などここ最近の音源やこれからの音源もどんどんこういったサブスク配信してもらってですね、より多くのロックファンに進化する紫の素晴らしさを伝えてもらいたいなと思います。
それこそ、バンバン世界に発信してほしいです!
どうぞどうぞご検討お願いします!
って、そもそもこの番組を聴いてくれるかわからないけどね。

さあ、ということでね、そろそろ今回の「沖縄音楽情報交換所」も締めくくりたいと思います。
よろしければ、ぜひ番組のフォローをお願いします。
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よろしくお願いします。

それでは、「沖縄音楽情報交換所」Episode 2「現在進行形で進化するレジェンドハードロックバンド・紫」、最後までお聴きいただき、ありがとうございました!
第3回目、Episode3 もどうぞお楽しみに!
    

【紫 公式サイト】http://www.murasaki-okinawa.com/
【映画「紫~MURASAKI~伝説のロック・スピリッツ」公式サイト】https://murasaki-movie.jp

【Spotify プレイリスト「沖縄ミュージック in TOKYO」】https://open.spotify.com/playlist/6mjCyBODxyTx2OEG9Z2zc2?si=993bff3395d145cf
【岡村聡士オフィシャルサイト】http://satoshiokamura.ryukyu
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