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63番・謝苅線の歴史を調べてみた

63番・謝苅線の運行ルート上に位置する北谷町の謝苅地区(字吉原)は、戦後も米軍基地として収容されなかったことから、役場が立地し、住宅街が形成されるなど、北谷町の中心部として栄えた地区である。
それゆえに路線バスの運行も早く、63番・謝苅線は、1950年代前半には運行を開始している。


1953年12月に運行開始

謝苅線の運行開始は1953年12月1日のことである$${^1}$$。
2024年7月現在の63番・謝苅線は、那覇バスターミナルが起点、具志川バスターミナルが終点であるが、1953年から1990年代まで嘉手納バスターミナルが終点であった。当時の運行ルートを以下に示す。

運行開始当初の63番・謝苅線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

このうち、謝苅入口~嘉手納バスターミナル間は、62番・中部線も運行されており、63番・謝苅線の区間便が62番・中部線という運行形態であった。
元々、北谷町と嘉手納町は1つの町(村)であり、謝苅入口~嘉手納バスターミナルの区間内での移動需要は多かったのかもしれない。

ハンビータウン経由に変更

運行開始から長らく、那覇市内から謝苅入口まで、ひたすら国道58号を北上するルートであったが、1991年3月~1992年8月頃に、北前以北で国道58号経由(北谷経由)からハンビータウン経由に変更された。

1990年代前半にハンビータウン経由に変更
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この変更時期に関しては、別の記事で詳しく考察しているので、こちらを参照されたい。

なお変更当初は、全便がハンビータウン経由であったが、休日のハンビータウン地区での路上駐車が多く、路線バスの運行に支障をきたすようになったため、1997年4月5日からは休日の午後2時~午後8時の便が従来の国道58号経由(北谷経由)となった$${^2}$$。この運行形態は2014年まで続いたが、2014年8月18日のダイヤ改正にて、約12年ぶりに全便がハンビータウン経由に戻っている。

具志川バスターミナル終点に変更

嘉手納バスターミナルを発着していた路線は、63番・謝苅線以外に、62番・中部線(嘉手納~知花~コザ~謝苅入口)と94番・中部循環線(嘉手納~知花~コザ~北谷高校)の3路線があった。この3路線のうち、63番・謝苅線以外の2路線は、1990年4月$${^3}$$~1993年3月$${^4}$$ごろに読谷バスターミナルが終点に変更されており、以降の嘉手納バスターミナルは、63番・謝苅線のみが発着するバスターミナルであった。
ただ、この1路線のためだけに残す必要は無いと判断されたのか、1993年4月$${^4}$$~1994年3月$${^5}$$の間に嘉手納バスターミナルは廃止された。63番・謝苅線は、読谷バスターミナル終点となった62番・中部線などとは異なり、具志川バスターミナルが終点へと変更された。変更後の運行ルートを以下に示す。

具志川バスターミナル発着へ変更された63番・謝苅線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

具志川バスターミナル発着となった際は、23番・具志川線などの幹線系統のルートである平良川経由ではなく、従来通り知花を経由するルートとなった。ただし、嘉手納発着時代は、コザから美里小学校前を経由して知花へ向かうルートであったが、具志川発着への変更の際に、コザから美里高校前を経由して知花へ向かう独自のルートとなった。
なお、知花以北は90番・知花線と完全に同ルートであった。

コザ~具志川バスターミナル間の運行ルートの違い
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

263番・謝苅おもろまち線が運行開始

2003年8月10日の沖縄都市モノレール開通と同時に、63番・謝苅線の起点をおもろまち駅前広場とした263番・謝苅おもろまち線の運行が開始された。

263番・謝苅おもろまち線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

元から需要は見込んでいなかったようで、1日3本のみの運行であった。2024年7月現在でも1日2本のみであるが、路線自体は存続している。
なお、後述する63番・謝苅線の経路変更時には263番・謝苅おもろまち線も同様の変更が実施されている。

知花経由から大原団地前経由に変更

2006年4月24日からは、知花経由から大原団地前経由へと変更された。変更後の運行ルートを以下に示す。

大原団地前経由へ変更された63番・謝苅線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

途中の法務局入口までは変更無しで、そこから知花へ向かわず、赤道方面へ進み、23番・具志川線のルートである県道75号線(赤道十字路バス停)の手前にある市道を北上していくルートとなった。このルート変更により、コザ以北の大半の区間が63番・謝苅線(と派生路線である263番・謝苅おもろまち線)のみが運行される独自区間となった。

コザ~具志川バスターミナル間の運行ルートの違い
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

それまでコザ~具志川バスターミナル間のルートとしては、23番・具志川線のルートである平良川経由(県道75号線経由)、90番・知花線のルートである知花経由(国道331号経由)の2ルートのみであったが、63番・謝苅線のルート変更により、新たに大原団地前経由(市道安慶名~平良川線経由)が加わった。ちなみにこの約4か月後の2006年9月1日からは、さらに22番・こどもの国宮里線にて具志川高校経由(県道224号線経由)が誕生しており、琉球バスとしてはうるま市内での新たな需要の開拓を進めていたのかもしれない。

コザ~具志川バスターミナル間の運行ルートの違い

なお運輸局が公表する資料$${^6}$$では、経由するバス停名に由来して「大原団地前経由」と記載されており、この記事でもそれに倣ったが、行先表示器では「兼箇段」が経由地として記載されていたことから「兼箇段経由」とされることもあった。なお、「兼箇段」はバス停名としては存在しなかったが、63番・謝苅線は、同地区を通る唯一のバス路線であった。

行先表示器では「兼箇段」と表示されていた

大原団地前経由から平良川経由に変更

新たな需要を見込んで開拓された大原団地前経由であったが、利用者は少なかったようで、2年後には平良川経由(県道75号線経由)へのルート変更が発表された。

県、国、バス会社、関係市町村でつくる県生活交通確保協議会(議長・上原良幸県企画部長)が9日、県庁で開かれ、琉球バス交通が、謝苅線(系統番号63番、運行距離34.4キロ)と謝苅・おもろまち線(系統番号263番、32.1キロ)を2008年度に一部廃止する方針を示した。
廃止区間は、謝苅線がうるま市赤道307地先―同市字兼箇段1344ノ2地先の県道平良川赤道線。謝苅・おもろまち線がうるま市字兼箇段1344ノ2地先―同市西原98地先の県道安慶名平良川線。廃止予定日は10月1日。琉球バス交通は「利用者の減少により謝苅線全体の収支悪化を招いているため」と説明。今後は、コースを県道75号に変更する。

琉球バス系統63、263番 一部区間廃止の方針(2008年5月10日 琉球新報)

この変更は約1年後ろ倒しされたが、2009年7月20日より予告通り平良川経由に変更された。なお上記の新聞記事では、63番・謝苅線と263番・謝苅おもろまち線が異なるルートに変更されるような書き方になっているが、両路線とも同じ変更が実施されている。変更後のルートを以下に示す。

平良川経由へ変更された63番・謝苅線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

23番・具志川線のルートを完全に踏襲するのではなく、コザ~赤道十字路の間は引き続き独自ルートとなった。また、安慶名からうるま市役所前を経由せずに、最短で具志川バスターミナルに向かうルートとなっている。

コザ~具志川バスターミナル間の運行ルートの違い
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

経路変更を繰り返した63番・謝苅線であったが、以降は2024年7月現在までこのルートで運行されている。

脚注

  1. 謝苅線開通お知らせ/来る12月1日を期して(1953年11月30日 沖縄タイムス)

  2. ハンビー地区の交通渋滞/違法駐車や住宅街にごみ/週末に雑踏 バスも敬遠(1997年6月15日 沖縄タイムス)

  3. 平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.29

  4. 平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.26、P.28

  5. 平成6年度 業務概況(1994年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.25

  6. 平成18年度 業務概況(2006年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.25

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