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かつて読谷線に存在したコンベンション・ハンビータウン・美浜経由

読谷線とは、沖縄県那覇市の那覇バスターミナルを起点とし、読谷村の読谷バスターミナルを終点とする路線である。
読谷村内での経由地の違いによる2系統(楚辺経由、喜名経由)があり、楚辺経由が28番・読谷線、喜名経由が29番・読谷線となっている。このうち、宜野湾市の沖縄コンベンションセンター、北谷町のハンビータウン、美浜地区を経由していたのは、28番・読谷線の方である。

共同運行となったのは1996年4月

本題に入る前に・・・。
現在の28番・読谷線(と29番・読谷線)は、琉球バス交通と沖縄バスの2社による共同運行であるが、この共同運行は1996年4月1日より開始された。

琉球バスと沖縄バスは、1日から糸満線と読谷線の両社共同運行を開始した。対象は糸満線(小禄経由、那覇西高校経由、航空隊経由、山下・西崎経由)、読谷線(楚辺経由、同残波行き、喜名経由)の全路線。

初のバス2社共同運行開始/糸満線と読谷線(1996年4月2日 沖縄タイムス)

それ以前、すなわち1996年3月31日までは、琉球バス(当時)と沖縄バスが、まったく同じ系統番号、路線名、経路で別々に運行していた。これは読谷線以外に、上記新聞記事にある糸満線(1996年4月1日共同運行開始)のほか、現在は共同運行となっている、名護西線(1998年4月27日共同運行開始)や北部支線の一部(1993年12月28日共同運行開始)もかつては同様の形態であった。

コンベンションセンター経由の運行開始は1988年12月

さて本題に戻る。
沖縄バス創立60周年記念誌によると、28番・読谷線にコンベンションセンター経由が新設されたのは1988年12月のことである。1日4本のみが運行された。

1988年12月 読谷線(楚辺経由)のうちコンベンションセンター経由4回実施

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.39

コンベンションセンター付近のルートは下記の通りであり、2023年6月現在も運行されている43番・北谷線(沖縄バス)や112番・国体道路線(琉球バス交通)と同様のルートである。

コンベンションセンター経由の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

コンベンションセンター経由は沖縄バスのみが運行

前述の通り、28番・読谷線の共同運行は1996年4月のことである。そのためコンベンションセンター経由の運行を開始したときは、2社が別々に読谷線を運行していた時代であり、コンベンションセンター経由は沖縄バスのみが運行していた。
1989年3月末時点のバス路線一覧にも、コンベンションセンター経由の記載があるが、備考欄には「沖(=沖縄バス)」のみとなっている。

1989年当時の28番・読谷線
平成元年度 業務概況(1989年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.23より抜粋

同じく読谷線を運行していた琉球バスは、読谷線にはコンベンションセンター経由は新設しなかったが、沖縄バスがコンベンションセンター経由のルートを独占するのを阻む目的か、代わりにコンベンションセンターを経由するルートとなる112番・国体道路線を、ほぼ同時期(1988年4月$${^1}$$~1989年3月$${^2}$$の間)に新設したようである。

28番・読谷線のコンベンションセンター経由と112番・国体道路線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

ハンビータウン・美浜経由は、コンベンションセンター経由と兼任

28番・読谷線にハンビータウン・美浜経由が存在したことは、沖縄県バス協会が1993年12月に発行したバス運行時刻表から確認ができる。この時刻表冊子にある路線図には、国道58号上の北谷、軍病院前などに「28番」が記されているが、ハンビータウン前、第二伊平(美浜地区)にも「28番」と記されているほか、運行路線一覧の28番・読谷線の欄にも、主たる経過地に「ハンビータウン」と書かれた系統が存在する。

1993年当時の28番・読谷線
バス運行時刻表(1993年12月 沖縄県バス協会発行)p.152より抜粋

上記の路線一覧によると、コンベンションセンター経由がハンビータウン・美浜経由も兼任していたようである。すなわち、以下のように国道58号を突っ切る本線と、寄り道をするコンベンションセンター・ハンビータウン・美浜経由の2系統となっていたようである。

本線とコンベンションセンター・ハンビータウン・美浜経由
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

ハンビータウン・美浜経由の運行開始はいつ?

沖縄バス創立60周年記念誌にも、沖縄県陸運事務所や沖縄総合事務局運輸部が発行する業務概況にも、ハンビータウン経由に関する記述は見当たらない。すなわち、記載が確認できるのは前述の沖縄県バス協会が1993年12月に発行したバス運行時刻表と、同じく沖縄県バス協会が1993年11月に発行した運賃及び粁程表の2資料のみである。そのため、1993年11月時点で運行を開始していたのは間違いないのだが、これらの資料だといつから運行されていたのかが不明である。

そこで、かつて宜野湾高校前バス停に貼られていた古いバス路線図から運行開始時期を探ってみたいと思う。
この路線図を見ると、コンベンションセンター経由の28番と112番(国体道路線)の記載はあるが、ハンビータウン経由は63番(謝苅線)のみの記載となっており、美浜経由はそもそもバス停すら記載がない(2023年6月現在、美浜を経由する62番・中部線は、この当時は軍病院前(国道58号)経由であった)。

古いバス路線図
(2008年1月 宜野湾高校前バス停にて撮影)
コンベンションセンターとハンビータウン付近の拡大図
2008年1月 宜野湾高校前バス停にて撮影)

この路線図の正式な発行時点が不明なのだが、1992年8月に運行を開始した120番・空港リゾート西線$${^3}$$の記載があり、1993年2月28日をもって廃止された102番・空港こどもの国線$${^4}$$の記載が残っていることから、1992年8月~1993年2月頃の路線図だと推察される。

バス路線一覧の拡大
(2008年1月 宜野湾高校前バス停にて撮影)

よって、これらの情報を踏まえると、読谷線のハンビータウン経由は、1992年8月~1993年11月の間に運行を開始したのではないかと推察される。

なお、63番・謝苅線のハンビータウン経由の運行開始時期も不明だが、ハンビータウン経由の運行ルート上にある「美浜橋」の開通が1991年3月3日のこと$${^5}$$なので、少なくともこの日よりも後ろである。また、前述の1992年8月~1993年2月頃の路線図には記載があることから、その時点では運行を開始している。よって、1991年3月~1992年8月頃に運行を開始したのではないかと推察される。すなわりハンビータウン地区への路線バスは、先に琉球バス(63番・謝苅線)が乗り入れており、後から沖縄バス(28番・読谷線)が乗り入れを開始したようである。

また、美浜地区については、28番・読谷線、62番・中部線ともに、1992年8月~1993年2月頃の路線図には記載がなく、沖縄県バス協会が1993年12月に発行したバス運行時刻表には記載があることから、この2路線はほぼ同時期に美浜地区への乗り入れを開始したようである。

ハンビータウン・美浜経由の運行開始年月(想定)

共同運行化と同時にハンビータウン・美浜経由は廃止?

正確な運行開始日が不明であるハンビータウン経由であるが、廃止された時期も不明である。少なくとも、沖縄県バス協会が1998年6月に発行した運賃及び粁程表には記載がないことから、1998年5月までに廃止となったようである。勝手な想像ではあるが、1996年4月1日の琉球バスと沖縄バスの共同運行化に際して廃止されたのかもしれない。
よって、ハンビータウン・美浜経由は、最長で1992年8月~1998年5月(約6年)、最短で1993年11月~1996年3月(約2年半)の運行であった。

コンベンションセンター経由の廃止は2015年11月

早々に廃止となったハンビータウン経由に対して、コンベンションセンター経由は2015年まで運行されていた。末期は1日6本のみの運行ではあったが、2015年11月13日をもって廃止されている$${^6}$$。廃止に先立って、沖縄バスは2015年4月6日よりコンベンションセンター経由のルートを網羅する43番・北谷線の運行を開始しており、琉球バス交通も112番・国体道路線が網羅していることから、両社ともに読谷線に敢えて残す必要はないという判断だったのかもしれない。

脚注

  1. 昭和63年度 業務概況(1988年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.31

  2. 平成元年度 業務概況(1989年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.30

  3. 沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.41

  4. 銀バス、四路線を一部変更/普天間~こどもの国路線など廃止 来月1日から(1993年2月27日 沖縄タイムス)

  5. 広報ちゃたん 2020年8月号 p.5

  6. 【お知らせ】ダイヤ変更及び経由廃止のお知らせ(2015年11月7日 沖縄バス)Webアーカイブページ


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