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かつて運行されていた深夜バス

残業規制強化の2024年問題等により、県内の路線バスの運行本数は減便傾向であるが、減便と共に最終便も繰り上がっており、2024年5月現在の那覇バスターミナル発の最終バスは、23番・具志川線の22時00分である。
かつては、今よりも1時間以上も遅い23時20分に那覇バスターミナルを出発し、日付を跨いで24時37分に具志川バスターミナルに到着する便が運行されていたことがあったが、それよりもさらに遅く、那覇バスターミナルを24時以降に出発する「深夜バス」が運行されていたことがあった。


2か月間の試行路線として運行を開始

県内初の深夜バスの運行は、1997年4月3日のことである$${^1}$$。沖縄県警からの「飲酒運転抑制」を目的とした運行要請に応えた形であり、特定の1社が運行するのではなく、111番・高速バスなどと同様に、琉球バス、沖縄バス、那覇交通、東陽バスの4社による共同運行であった$${^1}$$。

運行ルートは、那覇市の那覇バスターミナルを起点とし、大謝名、真栄原、普天間を経由して、沖縄市のコザを終点とし、郊外向けの下り方向のみの運行であった$${^2}$$。運行ルートを以下に示す。

110番・深夜バスの運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この運行ルートは、この当時、琉球バスと沖縄バスが運行していた27番・屋慶名線のルートを踏襲しており、那覇交通と東陽バスにとっては新規参入区間であったが、あくまで臨時の免許という形だったようだ$${^3}$$。

那覇交通株式会社
 (中略)
各事業者とともに深夜バスの運行を始めました。各社週に1回ずつの担当です。この深夜バスは、那覇バスターミナルから久茂地経由で沖縄市のコザ十字路が終点です。途中の待機時間を設けた停留所は市内3ヵ所だけですが、経路は沖縄バスと琉球バスが運行する27系統の屋慶名線と同じです。大謝名の交差点から真栄原間は当社の免許路線ではありませんが、高速路線と同様、期間限定の臨時免許で行っていますので、この種の運行で免許範囲が拡大したとは考えていません。

バスラマ・インターナショナル43号(1997年8月 ぽると出版発行)p.29

なお、27番・屋慶名線とは終点が異なり、かつ4社で共同運行されるためか、既存路線の「深夜便」という形ではなく、「110番・深夜バス」という完全なる新設路線として運行を開始した。

毎週木・金の深夜に1日2本運行

午前0時30分、午前1時に那覇バスターミナルを出発する1日2本が設定された$${^1}$$。なお、この当時の那覇バスターミナル発の最終バスは、23番・具志川線の午後11時18分であったことから、1時間以上も遅い出発時刻が設定されたことになる$${^2}$$。

深夜の飲酒運転の抑止を目的にバス4社は4月3日から那覇-コザ十字路間に県内初の「深夜バス」を運行する。運行は飲酒機会の多い毎週末の木、金曜日の午前0時半と午前1時、那覇バスターミナル発下り2便。
 (中略)
県内の路線バスは那覇発は午後11時18分の具志川線(琉球バス)が最終。

飲酒運転抑制目指し4月から「深夜バス」運行(1997年3月20日 琉球新報)

また、勤務地からの帰宅需要では無く、飲酒後の帰宅需要を想定した路線であったため、毎日運行とはならず、「飲酒機会の多い週末」として、「木曜日深夜」と「金曜日深夜」の毎週2日間の運行となった$${^2}$$。飲酒後の帰宅であれば、翌日が休日となる「金曜日深夜」と「土曜日深夜」の需要が高そうではあるが、県警からの要請をふまえたものであるので、「飲酒運転の死傷事故率が高い曜日」という選定理由もあったのかもしれない。

運賃については、当時の那覇バスターミナル~コザ間の通常バス運賃が740円であったが、110番・深夜バスは少し上乗せされ890円となっていた$${^2}$$。ただし、沖縄県外の深夜バスでは通常運賃の2倍に設定されている路線が多いことを踏まえると、110番・深夜バスについては、需要喚起のためか割増額は比較的抑えられていたことになる。ちなみに、同じ区間をタクシー利用だと約5000円だった$${^2}$$ようなので、それと比較すると1000円未満というのは、かなり低価格である。

料金は通常の路線バスの2割増で、始発からコザ十字路までは通常740円が深夜バスでは890円。回数券の使用も可能という。 沖縄総合事務局では「同区間はタクシーでは小型料金で約5000円。安く帰れる分、飲酒運転を抑止する効果がでることを期待している」(運輸部)という。

飲酒運転抑制目指し4月から「深夜バス」運行(1997年3月20日 琉球新報)

1年間の試行期間延長

110番・深夜バスは、系統番号まで設定はされていたが、あくまで2か月間の試行運行であり、採算が取れる1便あたり20人以上の利用があれば定期運行とするという形であった。バス事業者としては、利用状況を踏まえた上で、試験運行での終了を想定していたようだが、利用者や県警からの継続の要望や要請を受け、1年間の延長を行うこととなった$${^4}$$。

試行運行された2か月で、合計32本が運行され、利用者数は600人だったようなので、単純に便あたりにすると19人/便と微妙に目標ラインには届かない結果となっていたが、木曜日深夜の需要が平均で9人/便と低く、足を引っ張っていたようである$${^4}$$。やはり翌日が平日となる木曜日深夜の需要は少なかったのだと思われるが、期間延長に際しては、この需要が少ない木曜日深夜の便を廃止する代わりに、新たに土曜日深夜に運行することとなった$${^4}$$。
なお、運行曜日が変わったのみで、運行時刻や運賃等は変更無しであった$${^4}$$。

4⽉から2カ⽉間の予定で試験運⾏していた深夜バスが、6⽉以降も1年間継続されることになった。28⽇までに、県内のバス4社が沖縄総合事務局運輸部へ6⽉から来年5⽉までの1年間の運⾏をそれぞれ申請、許可された。現在⾦・⼟曜⽇に午前0時半と午前1時の2便があるが、6⽉からは⼟・⽇に移して同じ時間に運⾏する。
 (中略)
深夜バスは飲酒運転の抑⽌を⽬的に試験運⾏が開始された。今⽉24⽇までに32回運⾏され、600⼈が利⽤。そのうち4割近くの客が飲酒していた。県警では「2カ⽉で効果がはっきり分かるものではないが、これだけの飲酒者が運転しなかったと考えるとよかったのでは」と話している。特に⼟曜⽇の第1便の利⽤が多かった。
バス会社側は当初は2カ⽉で終了の考えだったようだが、県⺠からの継続を望む声や、県警からの要請もあって続⾏を決定。利⽤者が1便平均9⼈だった⾦曜⽇をやめ、利⽤度の⾼いと思われる⽇曜⽇(⼟曜⽇深夜)に移した。

深夜バス来月以降も運行/曜日は土・日に移行(1997年5月31日 琉球新報)

1日1便に減便され、その後廃止

試行期間が1年間延長され、運行曜日を変えるテコ入れがされたが、1997年4月の運行開始時に1日平均約42人いた利用者数は、同年9月時点で1日平均約25人にまで減少しており、1997年11月1日からは1日1本のみの運行となった$${^5}$$。なお、午前0時30分発と午前1時発のうち、利用率が少ない午前1時発の便が廃止された$${^5}$$。

県内バス会社4社は、週末に運行している深夜バスの便数を週4便から2便に減らすことを決め、22日までに沖縄総合事務局陸運事務所へ事業計画の変更を申請した。総合事務局によれば、今月中にも認可される見通しで、11月から土、日曜日の深夜に1便ずつの運行となる。
 (中略)
今年6月から利用率を高めるため、運行日を土、日曜日の深夜に変更したが効果は無く、「1回の運行で乗客が数人ということも多い」(バス協会)という。
協会内で対応策を話し合った結果、利用率が低い午前1時発の便を廃止することで合意、今月3日までに各社が減便の事業変更を申請した。

採算合わずブレーキ/深夜バス 来月から週2便に減(1997年10月23日 沖縄タイムス)

その後も需要が伸びることは無かったようで、1998年5月31日(日曜日=土曜日深夜)の0時半発をもって、110番・深夜バスは廃止となった$${^6}$$。1年2か月間のみの運行であった。
運行期間中の1便平均利用者数は14人だったようで、採算がとれる1便20人を下回っている状態であった$${^6}$$。また廃止が決定した後も、再開を求める意見が出なかったようである$${^6}$$。ちなみに「飲酒運転抑制」を目的に運行を開始していたが、飲酒の乗客は約4割で、残りの約6割は深夜勤務者だったようであり、「飲酒運転抑制」効果があったかも疑問のままで終了となった$${^6}$$$${^,}$$$${^7}$$。

那覇バスターミナルからコザ十字路間に運行していた「深夜バス」が、5月いっぱいで運行を廃止した。
 (中略)
バス会社の従業員からは「深夜酒を飲んで、わざわざバスには乗ってくれない」「沖縄の夜型社会を考えると運行時間は早過ぎる」という声も上がっていた。
県警の統計によると、昨年1月から4月までと今年の同期では飲酒絡みの事故が6件、飲酒・酒酔い運転の摘発件数が約360件減少している。ただし「深夜バス運行の効果であるという判断は難しい」としている。

「深夜バス」が運行廃止/利用少なく採算取れず/飲酒運転抑止効果も疑問(1998年6月14日 琉球新報)

なお、一般道経由の路線バスで、これ以降深夜バスが運行された実績は存在しないが、2013年3月16日~6月30日の間に、那覇空港と本部町を高速道路経由で結ぶやんばる急行バスの「空港線」が、那覇空港を26時(深夜2時)に出発する便を設定していたことがある。ただし、これは飲酒後の利用を想定していたものでは無く、深夜に那覇空港に到着する航空便からの乗り継ぎを考慮したものであり、110番・深夜バスとは、運行理由が少し異なるものであった。

脚注

  1. 週末の帰宅は深夜バスで/飲酒運転抑止に一役(1997年4月4日 沖縄タイムス)

  2. 飲酒運転抑制⽬指し4⽉から「深夜バス」運⾏(1997年3月20日 琉球新報)

  3. バスラマ・インターナショナル43号(1997年8月 ぽると出版発行)p.29

  4. 深夜バス来月以降も運行/曜日は土・日に移行(1997年5月31日 琉球新報)

  5. 採算合わずブレーキ/深夜バス 来月から週2便に減(1997年10月23日 沖縄タイムス)

  6. 「深夜バス」が運行廃止/利用少なく採算取れず/飲酒運転抑止効果も疑問(1998年6月14日 琉球新報)

  7. 深夜バス順調に発車(1997年4月25日 沖縄タイムス)

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