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7番・空港首里城線の歴史を調べてみた

那覇市首里にある守礼門は、かつて「日本3大がっかり観光地」の1つとなっていた。これは守礼門の先の本殿が存在しなかった(復元されていなかった)ためであるが、首里城本殿が復元され、汚名返上のきっかけとなる首里城公園の開園は1992年11月3日のことである$${^1}$$。
この開園と同時に、那覇市中心部からアクセスするバス路線が運行を開始していた。


1992年に運行開始

7番・空港首里城線の運行開始は、1992年11月3日である$${^2}$$。冒頭でも書いたように、この日は首里城公園の開園日であった$${^1}$$。
開園と同時に首里城公園のインフォメーションセンターである「首里杜館」の地下には、県営駐車場が設置されたが、開園当初はバス優先の駐車場となっていた$${^3}$$。加えてまだ民間の駐車場が周辺には少なかったことから、路線バスの開設により、一般車での来訪を極力防ぐ目的があったようだ。
ちなみに運行開始に際しては、記念乗車券(市内線回数券)も発売されたようである。


那覇空港と首里城公園を結ぶルート

路線名からもわかるように、起点は那覇空港、終点は首里城公園であり、途中、那覇バスターミナル、牧志(国際通り)、大道を経由するルートであった。当時の運行ルートを以下に示す。

7番・空港首里城線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

那覇空港から国際通りを経由して、沖縄都ホテル前(現・ノボテル沖縄那覇前)までは、現在も運行されている125番・普天間空港線と同様のルートで、そこからは鳥堀方面へ向かい、池端交差点を右折して、首里城公園が終点であった。この終点の首里城公園バス停については後述する。
逆方向の那覇空港行きは、首里城公園から南にある金城町方面へ向かい、赤マルソウ通り、沖縄都ホテル前を経由して、那覇空港へ向かうルートであった。
よって、首里城公園付近のルートは行きと帰りで異なるルートとなっていた。

7番・空港首里城線の運行ルート(首里城地区を拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

現在とは異なる首里城付近の道路網

開園当初の首里城公園周辺の道路網は現在と異なっていた。1993年8月当時と2010年9月当時の航空写真を示す。

首里城付近 1993/08/29撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C49-12】を筆者が加工)
首里城付近 2010/09/27撮影
(国土地理院の空中写真【COK20101-C11-12】を筆者が加工)

池端交差点から首里城前交差点、守礼門、円覚寺跡を経由して、当蔵交差点へ繋がる県道49号線のうち、2024年5月現在は、首里城前交差点から守礼門を経て、円覚寺跡までの区間が、車が入れない歩行者専用道路となっているが、このかつてはこの区間も自動車が通れる道路であった。
逆に、2024年5月現在は市道首里城線として整備されている区間の道路は、この当時は一部が未供用であった。

7番・空港首里城線の運行ルート(首里城公園付近を拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

このような道路網であったので、7番・空港首里城線は、現在は歩行者専用道路の区間を含む県道49号線を通行しており、守礼門の目の前を通るルートであった。ただし、道路混雑防止のためか、この道路上にはバス停が設置されることは無く、前述した首里杜館の地下に設置された県営駐車場が折り返し場となり、ココに終点である「首里城公園」バス停が設置された。
確証はないが、屋根有りの駐車場に停車している様子から、下記が地下に設置された終点の「首里城公園」バス停で待機中のバスではないだろうか。

首里城公園からは、前述の通り金城町へ向かい、赤マルソウ通りを通るルートであり、この区間はかつて16番・金城線や17番・石嶺線(金城経由)が通行していた区間であった。16番・金城線が運行されていた当時も、8番/7番・首里城下町線が運行されている2024年5月現在も、赤マルソウ通りには幾つかのバス停が設定されているが、7番・空港首里城線は、首里城公園~沖縄都ホテル前で無停車であり、沿線住民の利用は想定されておらず、完全に首里城公園へのアクセス路線としての運行ルートであった。

1時間に4本の15分間隔で運行

那覇空港基準で10時~17時の間に15分間隔で、1日29本が運行されていた。

運行回数は平日、日祝日とも29回。空港始発が午前10時、同終発が午後5時。首里城始発が午前10時55分で、同終発が午後6時5分となっており、約15分間隔で運行する。

空港首里城線 来月3日から運行/那覇交通(1992年10月28日 沖縄タイムス)

専用カラーの中型バスが使用

7番・空港首里城線の専属車両として、専用カラーを纏った中型バス8台が使用された。

那覇交通は、首里城公園の一部オープンに合わせて去る6日に申請していた。同線には中型バス(56人乗り、片側ベンチシート改造)8台が使用されるが、車体には首里城正殿、航空機の図柄をあしらい、カラーも道路線専用になっている。

空港首里城線 来月3日から運行/那覇交通(1992年10月28日 沖縄タイムス)

利用客の多さが想定されたはずなので、大型バスでもよさそうであるが、道路が狭いことから、中型バスが使用されたようである。これは、2024年5月現在も運行されている7番/8番・首里城下町線でも、同様に中型バスが使用されているのだが、かつて16番・金城線の時代には大型車(730車)が使用されていたはずである。歩道の整備等により、以前よりも車道幅員が狭くなってしまったのだろうか。

那覇交通は、同路線運行の道路が狭いことから大型車両の使用は難しく、中型バスを運行することにしている。

バス新路線を申請/那覇交通 空港-首里城公園に運行(1992年10月8日 沖縄タイムス)

在りし日の7番・空港首里城線の写真が以下のブログの中段に掲載されているので、ご紹介する。

1997年に廃止

運行当初は好調だったようだが、徐々に利用者は減少したようで、1997年7月19日をもって廃止となった$${^4}$$。運行開始当初は1時間に4本が運行されていたが、利用者は少なく、廃止直前の時点では1時間に1本にまで減便されていたようである$${^4}$$。
首里城公園への来訪者数自体は増加傾向であった$${^5}$$ようだが、大半が団体客で、観光バスでの訪問だったのかもしれない。

脚注

  1. 交通渋滞はない 話題も満載・⾸⾥城開園(1992年11月15日 沖縄観光速報)

  2. 那覇交通 ⾸⾥城バス発⾞(1992年11月15日 沖縄観光速報)

  3. きょうから交通規制(1992年10月28日 沖縄タイムス)

  4. 空港=⾸⾥城直⾏バス廃⽌(1997年10月1日 沖縄観光速報)

  5. 首里城公園絶好調 収益大幅アップ、内容充実図る(1997年10月15日 沖縄観光速報)

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