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かつて琉球バスが運行していた那覇市内線

2023年11月現在、那覇市内線を運行するのは那覇バスのみであるが、時を遡ること1960年代には、琉球バスも1路線だけ那覇市内線を運行していた。
運行していた路線は「高良線」という路線であり、那覇バスターミナルから小禄方面への市内線であった。


想定される運行ルート

先に書くと、1960年時点では運行されていたが、1965年時点では廃止となっていた路線である。かなり古い路線であり、当時の路線図は見つけきれていないため、運行ルートはかなり想定が入る。

那覇バスターミナル周辺の運行ルート

1966年の市街バス経路調査結果の資料$${^1}$$を見てみると、那覇バスターミナル周辺での高良線の経由地が記載されている。なお、資料自体は1966年発行であるが、情報自体は1960年11月当時のものである。

高良線の運行ルート
那覇市内交通緩和対策 会議録 市街バス経路調査(1966年6月 琉球政府通商産業局運輸部)p.53を元に筆者が作成

「市外バスの市内流入経路」を示したものであるため、左側が郊外部、右側が終点の那覇バスターミナル(センター)であり、この情報を元に想定されるルートが以下である。

那覇バスターミナル周辺での高良線の想定される運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

旭橋は、現在の旭橋駅前バス停のことであろう。
次のタイムスとは沖縄タイムスのことであると思われるが、沖縄タイムス本社の立地は、1960年11月当時と2023年8月現在で変わらず、久茂地交差点の角である。よって、タイムス=久茂地交差点近くのバス停と想定した。

想定されるタイムスバス停
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

その次の松尾~開南は現在のバス路線からするとかなり違和感があるが、1956年当時の路線図$${^2}$$を見てみると、かつての開南経由のバスルートは、現在とは異なり、国際通り~松尾消防署通り~開南せせらぎ通りというルートだったようである。

想定される松尾~開南の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

与儀と壺川は、現在の与儀十字路バス停および壺川バス停のことであろう。
その間にある農連とは、1956年当時の路線図$${^2}$$での農連前バス停のことだと思われるが、位置的には現在の農協会館前バス停であろうか。
想定される運行ルートを再掲するが、開南~与儀~壺川~那覇バスターミナルは、現在の89番・糸満線と同様のルートだったと想定される。

那覇バスターミナル周辺での高良線の想定される運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

また、1965年1月当時のバス路線一覧$${^3}$$によると、高良(小禄)を起終点とする循環路線だったようなので、那覇バスターミナルは終点ではなく、通過地点だったようである。

小禄周辺の運行ルート

1965年1月当時のバス路線一覧$${^3}$$に記載されている経由地は、壺川、久茂地のみであり、那覇バスターミナル以南の運行ルートに関しては、まったくと言っていいほど情報がない。
かなり勝手ではあるが、当時、既に運行されていた32番・糸満(小禄)線と同様のルートだったとしたら、以下のようなルートとなる。

那覇バスターミナル以南での高良線の想定される運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

Google Mapで距離を計測してみたが、おおよそ一致するので、かけ離れた経路とはなっていないはずである。

なお、下記のサイト内に掲載されている小禄地区の地図に、昭和バス乗り場という記載がある。昭和バスとは高良線を運行していた琉球バスの前身であることから、この昭和バス乗り場というのが、起点であったと想定される。
ちなみに現在の高良バス停の位置ではなく、高良市場前バス停となる。

全体の想定される路線図が下記である。

高良線の想定される運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

運行開始日は不明であるが、前述の資料の通り1960年11月時点$${^1}$$では既に運行を開始していた。同じ資料より、当時の運行本数は1日54本だったようである。

1962年に発行された昭和バスの決算報告書(営業報告書)によると、1962年1月16日に1台の増車と1日91本へと37本/日の増便が認可されているほか、高良出張所の新設も認可されている。この高良出張所は、前述の那覇市小禄高良の地図上に記載のあった「昭和バス乗り場」と同一のものだと思われる。

1962年1月16日 高良線認可(高良出張所新設)91回1台増車

法人企業業務報告書 運輸・通信業 1962年度(1962年 琉球政府計画局経済企画課)p.31

ほかにも高良に出張所があった形跡としては、1962年10月9日時点の車両配置表$${^4}$$がある。この資料には、高良線の管轄として高良営業部という記載があり、出張所と営業部という違いはあるが、恐らく同一のものであろう。なおこの資料から、高良出張所(高良営業部)の管轄路線は高良線だけだったようである。

なお、この高良線であるが、なぜか那覇交通の創立30周年記念誌にも記述がある。高良線が那覇市内で完結する那覇市内線であり、那覇交通にとっては競合路線という認識があったのかもしれない。

1962年2月17日 昭和バス高良線運行

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.76

1962年2月17日に新しい路線として運行を開始したかのように書かれているが、前述の通り1960年時点で運行を開始していたことから、高良出張所の新設のことを運行開始としたのであろう。ただこの記述のおかげで、高良出張所の新設と増便は、1962年2月17日であったことが分かった。

1965年4月に廃止

1965年5月末時点のバス路線一覧$${^3}$$より、1965年4月22日をもって廃止されたようである。わざわざ設置した出張所は、約3年間のみの使用であった。
これ以後、琉球バス交通になってからを含めて、琉球バスが那覇市内で完結する市内線を運行した実績は無い。

脚注

  1. 那覇市内交通緩和対策 会議録 市街バス経路調査(1966年6月 琉球政府通商産業局運輸部)p.53

  2. バス関係書類綴(1970年 琉球政府工務交通局陸運課)p.84

  3. 旅客自動車輸送実績報告書 各バス会社(1967年 琉球政府通商産業局運輸部)p.3p.15

  4. 事業用自動車の配置届 東運輸株式会社 八重交通株式会社(1970年6月 琉球政府建設運輸局陸運課)p.23


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