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かつて2社が運行していた名護東線

那覇市と名護市を結ぶ路線バスは、沖縄自動車道経由の111番・高速バスと、西海岸の一般道経由の20番・名護西線、120番・名護西空港線のほか、東海岸の一般道経由の77番・名護東線が存在する。
このうち東海岸経由の名護東線は、かつて琉球バスと沖縄バスの2社が別系統で運行していた時代があった。


琉球バスと沖縄バスが運行

繰り返しになるが、那覇市と名護市を東海岸経由で結ぶ名護東線は、琉球バスと沖縄バスが運行していた。厳密には、沖縄バスは2024年6月現在も運行中である。同じ路線名ではあるが、後述する歴史的経緯により、宜野座村と名護市内での経路は異なり、系統番号も琉球バスは21番・名護東線、沖縄バスは77番・名護東線と、別に設定されていた。
2006年8月時点での運行ルートを以下に示す。

21番・名護東線と77番・名護東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

那覇バスターミナル~潟原バス停(宜野座村)、世冨慶バス停(名護市)~名護バスターミナルは共通のルートであったが、間に挟まれた潟原~世冨慶が異なるルートであり、21番・名護東線(琉球バス)は許田経由、77番・名護東線(沖縄バス)は辺野古経由であった。

1950年に沖縄バスが運行開始

前述の2社のうち、最初に名護東線の運行を開始したのは沖縄バスである。1950年の沖縄バス設立当初の路線図$${^1}$$での記載が確認できる。
この当時の運行ルートを以下に示す。

初代・名護東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この当時の沖縄バスの初代・名護東線は、辺野古経由ではなく許田経由であり、現在も運行されている77番・名護東線とは異なるルートであった。
潟原より先の辺野古方面へは、久志線として嘉陽まで運行されており、二見入口~世冨慶がバス路線が走っていない区間であった$${^1}$$。この区間は、政府道122号線として戦後すぐ存在した道路ではあったが、バスが走るのが難しい環境だったのであろうか。

初代・名護東線と久志線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

なおコザ以南のルートも全く異なり、伊佐・普天間経由ではなく、国場・与那原経由であった。

初代と2代目の名護東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

1960年までに沖縄バスは撤退

1950年に運行を開始した沖縄バスの初代・名護東線であるが、1960年11月時点のバス路線一覧$${^2}$$には記載がないことから、1960年までには廃止されたようである。

1960年までに琉球バスが運行開始

撤退した沖縄バスに代わり、昭和バス(琉球バスの前身)が名護東線の運行を開始している。詳細な運行開始日は不明だが、1960年11月時点$${^2}$$では運行されている。
沖縄バスが運行していた初代・名護東線とは異なり、コザ以南では伊佐・普天間経由であった。後の21番・名護東線の運行ルートが既に完成している。

21番・名護東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

1977年に沖縄バスが運行開始

沖縄バスは1977年頃に再び名護東線の運行を開始した。現在の77番・名護東線である。

昭和52年3月3日 辺野古経由名護東線運行認可

沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.58

新設路線ではなく、名護バスターミナル~久志バスターミナルを結んでいた77番・辺野古~名護線を、那覇方面に延伸するとともに路線名を77番・名護東線に変更して誕生した路線である。

77番・名護東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

辺野古発着であった路線を延伸した経緯があるため、21番・名護東線とは異なり、辺野古経由となり、系統番号も辺野古発着時代の番号を引き継いだため、77番であった。
77番・名護東線の運行開始により、2つの名護東線が存在することとなった。

共同運行は実現せず

琉球バスと沖縄バスが同じ系統番号、同じ経路で運行する路線は、1990年代に入り共同運行化が進められた。具体的には、名護バスターミナルを発着する北部支線については1993年12月27日$${^3}$$から、那覇バスターミナルを発着する読谷線、糸満線については1996年4月1日$${^4}$$から、名護西線については1998年4月27日$${^5}$$から開始された。
名護東線は、冒頭でも書いたように、潟原~世冨慶の区間で経路が異なってはいたが、当初は共同運行される予定であり、1997年10月に2社で共同運行に対する合意がされている。

琉球バス(長浜弘真社長)と沖縄バス(大城孝心社長)による北部新会社設立統括委員会が16日、沖バス本社で開かれ、新たに那覇-名護間を結ぶ5路線を共同運行することで基本的に合意した。今後、国側と調整を進める。
対象となるのは、20系統(名護西線)、21(名護東線)77(辺野古経由名護東線)、111(高速バス)、120(空港リゾート西線)の5路線。現在は、ほぼ全線にわたって両社が競合している。
両社は、北部新会社に移行する予定の名護市以北の11路線については、4年前から共同運行を実施している。来年9月1日の新会社設立に伴い那覇発の5路線も共同運行することで、両社それぞれが持つ名護営業所を集約し、経費削減を図るのが狙い。

5路線を共同運行 那覇-名護間/琉球、沖縄バスが合意(1997年10月17日 沖縄タイムス)
太字は筆者によるもの

このうち20番・名護西線については、前述の通り1998年4月27日から共同運行が実現しているが、21番・名護東線と77番・名護東線の共同運行は実現することはなかった。やはり潟原~世冨慶の経路が異なる区間がネックとなったのであろうか。

おもろまち駅折り返し路線の計画があった

2003年8月10日の沖縄都市モノレール開業と同時に、バス路線の再編が実施され、中部方面からのバス路線の一部が、那覇バスターミナルより北に位置するおもろまち駅前広場での折り返すようになった。実現したのは、23番・具志川線(223番・具志川おもろまち線として新設)や28番・読谷線(228番・読谷おもろまち線として新設)、98番・琉大線(298番・琉大おもろまち線として新設)などの、うるま市・読谷村・宜野湾市を発着する路線に限られたが、当初は北部(名護市)を発着する名護西線と名護東線にも、折り返し路線の計画があった。

おもろまち駅と隣接する那覇新都心の地区では地域振興整備公団が乗り継ぎ拠点となる「交通広場」を整備中。完成後は市が管理する予定だ。
中北部から国際通りなどに乗り入れている琉球バス、沖縄バスの名護、屋慶名、読谷線などの一定程度を同広場で折り返しさせる方向だが、駐車スペースの規模などについて県と4社などの調整が残っている。

バス路線再編がヤマ場/モノレール8月開業(2003年4月7日 琉球新報)
太字は筆者によるもの

名護西線と名護東線のおもろまち駅発着路線は、運転手の休憩施設の未整備などを理由に、2024年6月まで実現していない。なお余談ではあるが、浦添市を発着する56番・浦添線(琉球バス)にも折り返し路線の新設が予定されていたようである。

一方、沖縄バスは屋慶名-那覇間の80番を高速バスに変え、首里駅を通過してバスターミナルに至る路線に改編する。52番は3分の1を新都心経由とする。
県の要望に沿って中部から来る27、28番の約3分の1をおもろまち駅前の交通広場で折り返すが、「乗務員の休憩施設や駐車場が未整備」(同社)として、長距離路線の20、29、77番は従来通り国際通りに入る。
琉球バスも同様の理由で23、27、28、63、88、90、98番の7路線を交通広場で折り返すが、20、21、56番の3路線は従来と同様の運行。国際通りの渋滞解消効果が薄れるのに加え、バス会社には「バスが交通広場からあふれて新都心の渋滞を生む」との懸念もある。

モノレール乗り継ぎ路線強化/那覇中心に大幅再編/国際通り、渋滞緩和効果は想定以下に(2003年5月7日 沖縄タイムス)
太字
は筆者によるもの

2008年に琉球バスは撤退

1960年当時から運行を続けて来た21番・名護東線(琉球バス)は、2004年4月15日に1日22本から1日4本へと大減便となった。ただしこの減便は、利用者の減少に伴うものではなく、沖縄こどもの国を発着する2路線(22番・那覇こどもの国線、26番・名護こどもの国線)の新設に伴うものであった。

このとき新設された2路線のうち、名護方面からの26番・名護こどもの国線は利用者が少なかったようで、2年後の2006年8月31日をもって廃止された。この代替として、21番・名護東線は増便されることとなったが、他の路線とも重複する安慶名以南が廃止され、具志川バスターミナル~名護バスターミナルの路線となった。
東海岸を経由し名護を目的地とする路線であることには変わりなかったためか、路線名は「名護東線」を踏襲した。

21番・名護東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

那覇を発着しなくなった21番・名護東線は、需要の高い区間を失ったためか、2007年に実施されたダイヤ改正で平日は減便、土曜日・休日は運休となった後に、2008年9月30日をもって廃止された。この廃止に伴い、県道71号線の松田(北)交差点~許田交差点の区間は、路線バスが走らない区間となった。

21番・名護東線と77番・名護東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

沖縄バスは2024年現在も運行中

後発の沖縄バスが運行する77番・名護東線は、2009年10月24日の赤道十字路~名護バスターミナルの区間便の新設(22番・名護うるま線として新設)や、2019年12月1日の急行便の新設などが実施されているが、2024年6月現在も運行中である。
ただし「地域公共交通確保維持改善事業費補助金」を受ける赤字路線となっており$${^6}$$、途中経由地であるうるま市からは、安慶名での系統分離の案も出ているようである。

3.路線見直しの検討
【うるま市】
那覇~名護間の長距離路線となっており、終点に近づくほど遅延が発生する状況となっているため、中南部120万人都市の北側に位置するうるま市の中心拠点である安慶名において、以北、以南の路線分割をすることにより、効率的な運航や生産性の向上が図られると考えており、事業者と協力しながら段階的に検討したい。

令和6年度 地域間幹線系統確保維持計画(2023年6月 沖縄県生活交通確保維持協議会)p.40

脚注

  1. 沖縄バスFacebook 【沖縄バス/アーカイブスVOL.156】~設立当時の路線図☆~

  2. 那覇市内交通緩和対策 会議録 市街バス経路調査(1966年6月 琉球政府通商産業局運輸部)p.53

  3. 琉球バス 沖縄バス 北部で共同運行/28日に発車「オーライ」(1993年12月26日 沖縄タイムス)

  4. 初のバス2社共同運行開始/糸満線と読谷線(1996年4月2日 沖縄タイムス)

  5. 名護線で共同運行/琉球バスと沖縄バス(1998年4月20日 沖縄タイムス)

  6. 陸上交通(バス路線の確保・維持)(沖縄県Webサイト)


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