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線引きしないことの大切さ

今回の記事は、ひめゆりの塔と沖縄平和祈念資料館に行った時の日記です。ご遺骨収集に参加して現場を知った状態だったので、またこれまでの日記と違った視点で考えれてるかなと思います。

『命令された、だから行動する・殺す・傷つけるっていう世界で、そこに批判や不満は何もなくて、これが一番怖いことだと思いました。人間は考えることができるし夢や目的や希望を持つことができて、理性や正義感もあって、それらが全て奪われるのが戦争の恐ろしさだと思います。

一人ひとりが努力することが永久平和を守り抜くことだと語り部さんが言っていました。自分1人こんな勉強して何になるんだろうと何回も思っていたけど、ここぞというときに、国に踏ん張りをつけたり方向を変えたりするうちのひとりになりたいです。

兵士、市民はみんな家族を想い続けて自由や平和な日常を取り戻したくて、もう一度味わいたくて、生きたいと敵兵から逃げたり戦ったと思うと胸が痛いです』

 戦場だった現場でご遺骨収集をさせて頂いたことで、兵士や市民は何を思って戦ったり逃げていたのかなと考えるようになりました。

現場は、岩がごつごつしてて木が生い茂ってる森で、今では空気もおいしくて木漏れ日がさして綺麗だな〜と思えるくらいの景色でしたが、

沖縄が戦場になった70年前は、爆弾や火炎放射器で木はすべて焼き尽くされて、身を隠す場所もなかったそうです。日本は物資もなかったので、自分には十分な武器がなく仲間がどんどん亡くなっていって、どこから敵兵に狙われているか分からない状況で、兵士も市民も生き抜こうと戦っていたのかと思いました。

本当のことは分からないし当時の人たちの考えを勝手に決めつけるのもどうなんだという話ですが、やっぱり最期まで家族や恋人や大事な人たちと会いたいと思ったり、その人たちは生きているのかと気にかけていたのではないかと考えました。

ひめゆりの塔に行って、当時の学生の写真の横がずらーっと飾られてあって、その写真の横に簡単なプロフィールみたいな感じで趣味とか性格が書かれてるんですけど、「英語が好きで」とか書いてあったのを見て、

時代や環境は違うけど、家族が大事だったり夢があったりやりたいことや趣味があったり、何も今の私と変わらないんだろうなと思いました。「戦争の時代を生きた人」とか「戦没者」と線引きしてしまうことが多いけどそれだとあまり本質が見えてこないよなあと思います。

まずは自分がそうしていくべきなんですけど、もっとこういう風にいろんなフィルターを外して当時のことや平和のことを自分ごとにして考える機会を与えられる人になりたいです。


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