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沖縄戦を知った女子大生が感じた世間とのギャップ

こんばんは!

今回の記事はたタイトル通りで、沖縄のご遺骨収集を終えて現実世界に帰ってきたときに抱いた違和感などを書きました。

沖縄ボランティアには毎年冬に1週間ほど行ってたんですけど、その期間中はご遺骨収集だったり戦争資料館回ったりそこで感じたことをボランティアのメンバーで話し合ったりと、戦争や平和についてどっぷり考えていました。

今の時代、沖縄戦のことを新聞やネットや本でいくらでも知ったり勉強できるんですけど、やっぱり自分の足で沖縄に行って、目で見て感じて知っていくのは全然違って、どちらも必要だなあと思います。

それで、沖縄で毎日人生観揺さぶられて「こんな大事なことを知らずに今まで生きてたのか」とか「家族や友達みんなも知らないよな、これは日本人として知っておくべきだよな」という気持ちがめっちゃ強くなって、帰ったらみんなに伝えよう話そう!とやる気に満ち溢れるわけです。

で、飛行機乗って空港着いて電車で帰っていくんですけど、そこで街ゆく人や景色をみて

「あ、戦争とか平和とか、そういうことを考えなくても普通に生きていけるねんな」

と、ふと感じたあの感覚をすごく覚えています。

実際自分もそうだったし、経済のこととか仕事のこと学校のこと、生きていく上で必要なものや考えないといけないことはたくさんあって、そっちの方が優先順位は高くて、普通に生きてたら全然平和や戦争のことに触れることはないのかなと思います。

終戦から70年以上経って、現在日本は戦争しているわけでもないから、戦争や平和のことを考える機会がないっていうのも平和という意味では良いことなのかもしれませんが、

風化していってしまったらどうしようとか、

戦争の時代を生きた人達や亡くなっていった人達に申し訳ないよなとなんだか寂しい気持ちになりました。

あと、頑張って家族や友達に沖縄戦のことを伝えようとするんですけど、その場の雰囲気が重く暗くなってしまってあんまり思うように話せなくて、

「あーあんまり口に出しちゃいけないのかな」と、なんとなくそんな気がしていました。

その当時は今よりももっと未熟だったから、

知ったからにはみんなに伝えないと!どうにかしないと!と結構焦ってたし、

「沖縄戦?なにそれ」みたいな友達にイライラしてたりもしました。

そしたら、そんな私をみていた家族からは、私が左翼とか右翼みたいになりそうと心配されました。

結構ショックでしたが、戦争や平和のことはいろんな立場の人からのいろんな重い意見や捉え方があって、とても繊細な話題なので、話す内容はもちろんのこと、話し方や姿勢もすごく大事になってくるんだろうなと改めて思いました。


今私は20代で、よく「若いのにえらいね」と言われます。

確かに周りの友達でこのことに興味を持ってる子はあまりいないので、今この年代だからこそ、自分だからこそできることはあるんじゃないかなとか、

戦争の時代を生きた人がご高齢になってどんどん減っていくなかで、

私みたいな若い人が戦争を伝えていくことで同世代や下の世代の心にも何か響かせれたらいいなと思います。

沖縄から帰ってきてからのギャップというか葛藤がとにかくすごかったので、また書きます☺︎



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