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中小企業診断士18名の中国体験1995年

北京国際討論会


 25年ほど前のことですが、1995年6月10日~6月17日の8日間北京に行き、北京国際討論会に参加しました。当時中国はこれから市場経済に入るので、国営企業の民営化が重要なテーマであった。日本の中小企業がどのように市場経済のもとで企業経営をしているのか、中国は熱心に研究していた。中国科学院外国問題研究所の対外連絡部主任が窓口になり、我々の中小企業診断士東京支部中央支会と話し合って、北京国際討論会(中国側は、「中日市場経済と企業発展討論会」といつていました)が実現した。また中国側は、我々中小企業診断士について中国でのコンサルティングの共同事業化についても希望していました。

中国側の発表者は唐豊義(中国企業改革と発展研究会常務理事)中国国有企業の短期的発展方向、王誠慶(中国社会科学院貿易経済研究所商業研究室副主任)消費品流通の現状と展望、陳乃醍(中国社会科学院工業経済研究所中小企業室主任)中国の中小企業の発展と展望、張栄剛(中国社会科学院経済研究所微視経済研究室主任)現在企業制度を目指す国有企業の過度的問題点と考え方、劉鐵民(国家体制改革委員会経済体制と管理研究所総合改革研究室主任)日中企業比較研究であった。日本側は、中小企業診断士18名です。

天安門広場にて、日本からの参加者18名の記念撮影1995年6月11日

私は、1995年の春に中小企業診断士工業部門の資格をとり、まだまもない同年6月であったが、中小企業診断士の東京支部中央支会のメンバーが北京郊外香山公園で3日間国際討論会を開催するということで、メンバー募集があることを知り、またとない機会と思い応募し、幸い許可されたので参加しました。

日程


討論会の3日間の他に、北京市製造業・商業施設の見学及び診断する予定も入り、6月10日出発、6月17日帰国の8日間の日程であった。

日本側の参加者は、予定通り中小企業診断協会東京支部中央支会の所属の18名であった。6月10日は、民族飯店泊、翌6月11日は、北京城郷貿易中心の百貨店見学、物美商城(スーパーマーケット)、北大平庄市場(自由市場)、燕沙友誼商城、天安門広場、中国美術館見学、6月12日は、国営の時計工場見学、北京市工芸美術廠見学、北京郊外の香山公園別荘に移動、夜北京国際討論会開幕式と懇親会。開幕式には、北京社会科学院外国問題研究会秘書長王順桂先生も出席して、歓迎して頂けました。討論会の詳細は北京国際討論会レポートに報告されています。国会図書館にあります。

国際検討会の様子 「市場経済と企業発展討論会」1995年6月12日



会食 1995年6月11日


工場見学 1995年6月12日

工場見学 1995年6月12日


6月13日、14日、北京国際討論会、終了後は、6月15日から16日には、2斑に分かれて見学、私は、北京標準家庭訪問、故宮・天壇公園・万里の長城観光して、6月17日の朝の便で帰国した。

百貨店見学 1995年6月11日

見学(場所不詳) 1995年6月14日


万里の長城見学 1995年6月16日

万里の長城見学 1995年6月16日


故宮見学 1995年6月15日


北京空港から帰国前 1995年6月17日

私は、当時、NIESといわれる韓国、台湾、香港、シンガポールの国々には、仕事でよくでかけていましたが、中国本土はまだまだ市場がちいさくて、まだ行ったことはありませんでした。だが将来的には大きな市場になるとはいっても、まだまだとの感じでした。でも日本文化の故郷である中国には、大きな関心を持っていました。

一年半ほど前から、日中学院で中国語会話の学習をしていましたので、簡体字や、多少の会話はできました。会議中は、携帯録音機を持ち込んで発表と討論を全部録音していました。これが非常に役立ちました。発表と討論は通訳付きなので、それもすべて録音できていました。日本に帰ってから、討論会の報告書を作成する段になって、中国語の資料だけでは、とても纏めるのは無理です。私の方に役割が回ってきて、中国側の報告と質疑のの概要を作成する役割が、帰国してから与えられました。

北京国際討論会レポートは、第1部中国みた聞いたまま、第2部北京国際討論会の討論内容、第3部研究論考から構成されている。(私は、第2部の中国側発表者6名の発表と討論の概要をまとめました。また第3部の研究論考には、中国の会計制度について報告しています。)

振り返って

 

 この国際討論会での中国側の対応は、今から思つても、大変熱心で、友好的なものでした。中国側の窓口であった許吉星さんが、特別寄稿の中でこう書いています。「私は各国の投資とよい設備を導入するよりは、先進的な科学技術と素晴らしい経営管理方法を導入する方がもっと重要でないかと思う」と、大変素直な態度でした。

 でも実際には、中国は、その後の急激な経済成長で、予想できないほどに変貌していきました。昔、こんなこともあったのだと記憶にとどめておきたいと思い書いてみました。





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