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No.518 天皇の料理番の妻が託した鈴に籠めた最後の愛

人類の歴史とともに、世界の各地で人間の暮らしや精神活動に深くかかわってきたものの一つが鈴です。その音は、人間を悩ます獣や魔物や邪気を追い払ったり、生命を守ったりする強い味方であり、同時に楽器として舞踊に用いられ、祭祀として祈りに用いられ、人間や動物や神々までも引き寄せる不思議な力に満ちた鳴り物でした。
 
日本でもすでに縄文時代には「土鈴」と呼ばれる音を出す器物が存在していますし、古墳時代中期の5世紀ごろになると、金属製の丸い鈴が出現したといわれています。
 
1979年(昭和54年)に出版された杉森久英の小説『天皇の料理番』(讀賣新聞社)のモデルとなったシェフ秋山徳蔵には、『味』という食味随筆があります。
 
その中に、癇癪持ちの篤蔵を何度も止めてくれた「俊子の鈴」の話が登場します。篤蔵は、妻の俊子を、
「心の優しい女で、私はこの家内を熱愛していた。世界中に比べもののない、いい家内だった。」
と回想します。きっと、同じ思いの男性もいらっしゃることでしょう。
 
俊子は、自らの臨終の時に夫の篤蔵を枕元に呼び、財布につけてあった小さな鈴を握らせて、こう言い残して死んで行ったといいます。
 「たったひとつ、心配なのは、貴方の癇癪でいらっしゃることです。貴方のお仕事は、本当にこの上ないお仕事です。お願いですから、役所へいらっしゃるとき、坂下門をお入りになる時に、この鈴を鳴らして下さいませ。そして、私が心配している事を、思い出して下さいませ。」

篤蔵は、俊子に与えられた鈴をいつもポケットに入れて持ち歩いており、坂下門(皇居の宮内庁の出入り口門)を入る時は、必ずチリンチリンと鳴らして、自らを戒めたと言われています。そのことは、TVドラマ『天皇の料理番』(秋山篤蔵役…佐藤健、妻俊子役…黒木華)の最終回でも演じられていました。

 10代の半ばで料理人を志し、20代の半ばで天皇の料理人となり、80代半ばまで勤めあげた篤蔵ですが、
「かんしゃくの、くの字を捨てて、ただ感謝!」
の境地にたどりついたのかもしれません。篤蔵は、起伏の多く長い人生だったようですが、実は、最初の妻俊子は30代という若さで亡くなっています。2人目の妻を迎えていたはずですが、ドラマでは、俊子が長生きしたことになっていたような…。
 
それでも、「心の中に鈴を鳴らしながら生きること」の大切さを教えてもらいました。癇癪持ちであればこそ、夫を案じたまま逝かねばならない妻が遺した最後の愛ともいえる思いの深さに打たれながら。
 
私は、森鴎外の小説『ぢいさんばあさん』の主人公で、癇癪持ちの美濃部伊織の失態による長年の苦労を思わないではおられませんでした。妻るんの長きに亘る献身に助けられ、静かに幸せにひっそりと余生を送れるようになった二人です。るんは、異郷に住む夫に向けて、ひたすら心の鈴を振り続けていたように思われるのです。それこそ、愛の証ででもあるように。