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No.845 人々に問いかけるこの一冊

NHKスペシャル「二人だけで生きたかった ―老夫婦心中事件の周辺―」を観たのは、1991年(平成3年)6月9日のことです。翌日発行した毎日学級通信「おらがはる」79号(平成3年6月10日)のコラムに、私はこんなことを書いていました。
 
「NHKスペシャル『二人だけで生きたかった』(6/9)を観た。
 病気を抱えた老夫婦の悲しくも切ないシーンがいくつもあり、その問い、葛藤、情愛、そして福祉の現状、高齢化社会のあり方等々、いろいろ考えさせられた。
 祖父が、かなり重い痴ほうの症状を出し、テレビでは放映されにくい醜かったり汚かったりする場面をいくつも見てきた自分であったが、遂に帰らぬ人となった祖父を失った淋しさ悲しさは、共に生き抜いた者にしか理解できないことのようにも思った。
 美しくボケることはできないものだろうか?」
 
番組に登場するのは、77歳の夫と老人性痴呆症と診断された66歳の妻です。妻は、夫の懸命の介護もむなしく、やがて徘徊を始めます。自治体の特別養護老人ホームに妻と一緒に入居したいと申請しますが、介護を必要としない夫は入所できません。その一方で、夫婦で入所可能な民間の老人ホームは、非常に高額でした。二人にとって、現実の大きな壁が立ちはだかります。30年以上も前の老夫婦の選んだ道とは?
 
つい先日、NHKスペシャル取材班編著『NHKアーカイブス特別編 二人だけで生きたかった-老夫婦心中事件の周辺-』(双葉社、2004年2月10日)を図書館から借りて読みました。あのテレビ放映から12年後に上梓された本です。読み終えて、まるで推理小説でも読むような、謎解きのような二人の老夫婦の不可解な死出の旅路が綴られていました。悲しいとも、哀れとも、何とも形容しがたく、涙を堪えられませんでした。
 
老夫婦そろっての入居が難しいことを知った息子夫婦は、両親の様子を見かねて二人を引き取りました。しかし、息子の家族への遠慮なのか、気兼ねない二人だけの生活を望んでの事なのか、同居を始めてからわずか4ヵ月だというのに、二人は遺書を残してこの息子の家を出て行ってしまいます。こうして、病の妻を連れた二人だけの旅が始まりました。それは、死出の道行きとなったのです。
 
二人は新潟の同じ村の出身です。70万円という大金を持ち、あちこちの宿に偽名で泊まりながら故郷近くまでたどり着いたものの、「捜索願」を恐れたのか故郷に立ち寄ることをしませんでした。その後も故郷近在の温泉を転々とします。実名を使って宿泊した時には、東京に帰るそぶりを見せながら、ついに家出から25日目に二人で入水してしまいました。

「二人だけで生きたかった」その背景には、二人だけで人に迷惑をかけずに心静かに暮らしたいという老夫婦のささやかな祈りのような願いがあったのかも知れません。しかし、そうしたお年寄りの願いが届かない社会の中で、絶望を受け入れるしかなかった老夫婦の心の痛みが、報われない道行きが、怒りにも似た激しい感情を胸に抱かせるのです。
 
迷惑はお互いのこととして、もっと家族や周囲に甘えても良かったのではないか?
老人達の本当の幸せや願いに向き合った高齢化社会のあり方、施設のあり方とは?

この本の終わり(P162)に、こんなことが書かれています。
「ともに65歳以上の夫婦だけで暮らす世帯は、12年前の放送当時に比べて、325万世帯と2倍以上に増えています。そして、今後も増加の傾向は続くと予想されます。」(NHKアーカイブス番組プロジェクト)
 
ちょっと調べてみましたら、この本が世に送り出されてから17年後の2021年(令和3年)には、65歳以上の「夫婦のみの世帯」が825万1000世帯( 65歳以上の者のいる世帯の32.0%)にも増えていることが、厚生労働省の国民生活基礎調査により分かりました。
 
「老後をいかに生きるか?」
この本は、私たちに哀切な調べを響かせながら問いかけています。
 
「老夫婦いたはり合ひて根深汁(ねぶかじる)」  
 高濱虚子(1874年~1959年)
根深汁は、葱の味噌汁です。根深とは、土を盛り上げて白根を長く深く育てることから付いた白葱の別名だそうです。