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No.1250 ふげとれ

その昔、大分市大分駅から別府市亀川駅までを国道10号線(別大国道)に沿って運行していた路面電車がありました。通称は「別大電車」でしたが、私たちが子供の頃は「チンチン電車」と愛称していました。

その歴史は古く、1900年(明治33年)5月10日に開業し、1972年(昭和47年)4月5日に廃止となりました。以下は、私が3歳の1956年(昭和31年)頃のお話です。
 
大分から別府まで親子でチンチン電車に乗って帰りました。ところが、腹は空いているうえに、車内でアンパンを食べている人を目ざとく見つけてしまい、いきなり大声で泣き始めたのだそうです。
「腹減ったぁ~!パンが食いてぇ~!パンが食いてぇ~!」
と聞こえよがしに、わめきまくったのでしょう。どんならん、手のつけられんその子は、ちょうど落語「初天神」の金坊のような、きかん坊の悪がねでした。
 
母親は頬から火が出るくらい恥ずかしかったでしょうし、なだめてもすかしても一向に泣き止まない我が子に、往生したことでしょう。一刻も早く下車したかったでしょうが、電車は、まだまだ止まりません。
 
「パンが要る~!パンが食いて~!」
壊れたレコードのように際限なく同じ文句を繰り返し大泣きする「ふげとれ」(大分弁「食い意地の張ること」。語源は未詳です。)の私に根負けしたのか、アンパンの主は、笑いながら一つ差し出してくれたそうです。
 
泣き止むが早いか、私はアンパンにかぶりつきました。そして、きれいに平らげた後、
「母ちゃん、あん人、またくるる(=パンをくれる)かな?」
と耳元でささやいたそうです。
「あんた、あげな恥ずかしいことは無かったで!」
後年、何度も聞かされた母のその一言は、私という人間をよく言い当てています。
「食いて~!」の「ふげとれ君」は、「サイテー!」の男でした。
 
しかし、その後、母親にパンをねだって困らせたり、実のカミさんにパンのことで駄々をこねたり、すねたりしたことはありません。私もいくぶん成長したと言うことでしょうか?
 
昨日、実家にお参りに帰っていたのですが、妹がわざわざパンを買って立ち寄り、私に持たせてくれました。それを見た瞬間、母の言葉が思い浮かび、我が羞恥の袋が解けてしまいました。
 
68年前のアンパンも美味しかったのでしょうが、妹持参のSUMOMOベーカリーのパンも「ふげとれ」の私の心と胃を満たしてくれました。大分の母の遺影に、一つお供えしました。