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No.962 時代は語る、数字も語る。

今日、8月7日は、東京通信工業(SONYの前身)が世界初のトランジスタラジオTR-55を発売した「トランジスタラジオ発売の日」だそうです。

アメリカのベル研究所で、トランジスタが発明されたのは、1948 年(昭和23年)です。それまでのラジオは、真空管の時代でした。そういえば、我が家の最初のTVも真空管でした。あれは、画面が映り始めるまで時間がかかるのでしたよね。

1952 年(昭和 27 年)、ソニーの前身だった東京通信工業㈱は、「自社製のトランジスタでラジオを作る」という目標に社運を賭けて挑戦しました。その結果、1955 年(昭和 30 年)8月にソニーTR-55が、19,800円という価格で発売されたそうです。しかし、感度、音量共に不十分なのに対し高額だったために、あまり売れなかったといわれています。
 
ただ、自社製トランジスタでラジオを作ったのは、東通工が世界初でした。そして、それまで据え置き形だったラジオを、自由に持ち運びができるポータブルタイプにしたことは画期的な出来事でした。人々の生活スタイルを変える程の影響力を持ったようです。
 
私は、その記念日の記事を読んだ時、ふと朝ドラ「ひよっこ」で向島電機に就職した谷田部みね子の事を思い出しました。みね子は、助川時子や、青天目(なばため)澄子や兼平豊子などと共に1965年(昭和40年)の春に上京して向島電機に就職します。彼女らが向島の工場でラジオを組み立てていたのは、「アポロン・AR-64」という製品でした。あの「ソニー・TR-55」に遅れること10年です。
 
ところが、向島電機は1965年の暮れに倒産してしまうのです。右肩上がりの高度成長期の只中にありながら、なぜ倒産をしたのでしょう?そこには「昭和40年不況」(オリンピック不況)という特殊な事情がありました。
 
前年のオリンピック特需の反動による需要の急落があったのが、1965年(昭和40年)だったそうです。オリンピックの前に高需要で売りに売れた多くの電化製品は、翌年は、この憂き目に遭うことになるのです。向島電機も、その昭和40年不況の大きなあおりを受けることになってしまいました。経営陣の苦渋の選択だったことでしょう。
 
近年は、国民総生産(GNP)よりも国内総生産(GDP)がいわれるようになりました。その実質前年比の推移を内閣府のデータをもとに示すと、
1960年(昭和35年)…13,1%
1961年(昭和36年)…11,9%
1962年(昭和37年)… 8,6%
1963年(昭和38年)… 8,8%
1964年(昭和39年)…11,2%
1965年(昭和40年)… 5,7%
1966年(昭和41年)…10,2%
1967年(昭和42年)…11,1%
1968年(昭和43年)…11,9%
1969年(昭和44年)…12,0%
1970年(昭和45年)…10,3%
とありました。

やはり、1965年(昭和40年)のデータだけ顕著な数字を残していました。みね子たちは、私よりも7つ上の世代ですが、そんな時代の余波を真正面に受けて生きたことを改めて知りました。オリンピック時代の光と影が、こんなところにもありました。


※画像は、クリエイター・雑記草(ざっきそう)さんの、タイトル「20000925 スター」をかたじけなくしました。ソニーの「TRANSISTOR6」という製品のようです。お礼申し上げます。