見出し画像

No.516 言葉を紡ぎ、舟を編む

『舟を編む』(三浦しをん著)は、女性ファッション誌に、2009年11月号から2011年7月号にかけて連載された小説です。2011年9月に単行本が発売され、翌2012年には、本屋大賞を受賞した作品です。
 
「辞書は言葉を渡る、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」
という意味からの書名『舟を編む』だそうです。国語辞書『大渡海』の編纂のために、個性的な編集者たちが奥深くて広範な辞書の世界に没頭し格闘する編集者アルアルな世界を描いた作品です。2013年には、松田龍平主演で、映画化もされています。
 
もう20年以上前のことになりますが、NHKの番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」で、「父と息子 執念燃ゆ 大辞典」の放送がありました。言語学者だった新村出・猛親子による『広辞苑』(岩波書店)完成・刊行までの物語に焦点を当てたものでした。私は、その番組を見て毎日学級通信のコラム欄に紹介していました。読んでやってください。
 
 「昨夜のTV番組『プロジェクトX』(NHK総合、21:15~21:58)は、戦後初の大国語辞典であり、『一家庭に一冊の必需品』と謳われた『広辞苑』誕生のドラマでした。
 新村出(いづる)は京都大学教授でしたが、太平洋戦争の以前から25年もかけて日本の言葉を網羅した国語辞典の作成を夢見ていました。
 戦争前に治安維持法で特高(特別高等警察)に捕らえられた息子・猛との二人三脚で、辞典の作成に取り掛かったのです。“slow but steady.”(ゆっくり、でも、着実に)が新村親子の合言葉だったと言います。
 漸く出来上がった原稿を東京の印刷所に持って行きました。ところが、運悪く太平洋戦争が始まり、東京大空襲のために印刷所も焼け、辞書の原稿も灰になってしまいました。
 しかし、新村親子の辞典への夢は衰えませんでした。『新時代に有益な辞書を、何としても世に送り出したい』との思いが、息子・猛を中心とするプロジェクトチームに繋がっていったのです。
 終戦直後のこと、『ノルマ』や『アルバイト』や『吊り革』といった新語もどんどん加えられて行きました。
 さまざまな紆余曲折を経て、遂に1955年(昭和30年)、記念すべき『広辞苑』(第1版)が発行されました。新村出は、80歳にもなっていました。
 20万語もの言葉を採録した、この「多くの言葉の園」(広辞苑)は、年間12万部も販売するという、当時としては大ベストセラーになりました。
 『やればやるほど言葉の底なし沼に引きずり込まれ、終わりが見えませんでした。』
と、当時のプロジェクトチームの一人は振り返りました。
 昭和の初めに辞書作りを目指して30年、ようやくその姿を現した広辞苑。新村親子の情熱に胸が詰まるほどの間隙を与えられました。」

番組放映の翌日から3日間にわたって毎日通信のコラム欄に書いた文章でした。ところが、その後、番組へのクレームが寄せられたのでした。実は、『広辞苑』が同じ新村出を編者として1935年(昭和10年)に博文館から刊行された『辞苑』の改訂版であったことに一切触れられておらず、新村親子の努力で『広辞苑』が完成し発売されたかのような内容であったために、博文館の後身である博文館新社から抗議を受けたと言うのです。

その後、博文館および『辞苑』について『広辞苑』に加筆を行ったようですが、いやしくもマスコミ、マスメディアに身を置く者として、その労苦に先鞭をつけた先達の偉業に対して仁義を欠くような行為は厳に慎まねばならぬことの謂いでしょう。
 
『広辞苑』は1955年に初版が刊行されて以来、60年余が経ちました。2018年(平成30年)1月に、10年ぶりに全面改定された岩波書店の辞典「広辞苑第七版」が発売となりました。

第7版は「ips細胞」「アプリ」「LGBT」「限界集落」「自撮り」「廃炉」「東日本大震災」「ブラック企業」「ふるさと納税」ほかの言葉を新たに収録し、総項目は前回の版より1万増えて約25万語だそうです。

時代を映す鏡のような言葉の辞典は、長い目で見れば、今後も生まれては消えて行く「うたかた」のような言葉たちと対峙しながら、新たな舟を編み続けるのでしょう。それが、電子書籍であろうとも、紙媒体の机上の活字の辞書であろうとも。国語辞書は、日本人の営みの歴史なのですから。