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No.646 愚公山を移す

「愚公移山」について、辞書はこのように説明しています。
「『愚公、山を移す』と読み下す。昔、中国に愚公という老人がいて、二つの山の北側に住んでいたが、家の出入りに不便なので山を移そうとした。そんなことは無理だと嘲笑する者もいたが、孫やその子の代までかかってもやり遂げると言い、山を崩しては土を運び続けた。天帝は愚公のひたむきな心に感じ、その山を他の場所に移したという。」
 
このお話から、「何事も根気よく努力を続ければ、最後には成功することのたとえ」として用いられます。小さなことでもコツコツ続けていれば大きなことを成し遂げられるという謂でしょう。現実的には困難でも、一面の真理があり、私の好きなお話の一つです。
 
悲しかったり、憤ったり、情けなかったりするニュースは、数知れません。そんな中、微笑ましくて忘れられない話があります。
 
2013年(平成25年)1月に発表された第148回芥川賞・最年長受賞者・黒田夏子さん(75歳)の喜びの受賞コメントがそれです。
「生きているうちに見つけて下さいまして本当に有り難うございました!」
この一言は、報われない悔しい思いを胸に生きている多くの人々の心に、明るい希望の灯を点してくれたのではないでしょうか。
 
受賞作「abさんご」は、
「固有名詞やカタカナを排して、ひらがなを多く用い、柔らかい言葉を紡いだ横書きの独自の文体でしたが、非常に洗練されていた。」
といいます。また、ネットの読者の書き込みには、
「五十歳代の親と思春期を迎えた子どもの家庭に家政婦が雇われたことで、親子の大切な日常が失われてゆく不安や、親子の愛情を描いている作品である」
と書かれていました。
 
誰もが「気付かれたい、認められたい」と願っています。褒められたいのは、子供だけでなく、大人とてまた同じです。いつまでもお子ちゃま気分の抜けない私は、ちょっとでも褒められると狂喜乱舞してしまうほど単細胞にできています。
 
しかし、大人社会は、容易にそれを許さぬ思惑に満ちています。それゆえに、怏々として楽しまず、不意不満をかこち、自分ばかりが損な立ち回り役をあてがわれているかのように思い込み、世の中や人を恨み、己の心を卑しめるのです。ついつい、人のせいばかりにして虚心平気に己と向き合うことを忘れてしまうのです。
 
そんな時、夏子さんの一言は、鞭のようにしなやかに鋭い音を立てました。
「生きているうちに見つけて下さいまして本当に有り難うございました!」
 
私は、一人の謙虚な老女性に山を動かす愚公の姿を見たように思いました。

※画像は、クリエイターblackcatさんのタイトル「芥川龍之介、その知性に感服する」を紹介させていただきました。お礼申し上げます。