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No.1120 ひと握りの幸せ

桜上水の一角に小ぢんまりとしたお寿司屋さんが誕生したのは、1978年(昭和53年)のことです。
 
山形県出身のご夫婦で、ご主人は30歳の若さでした。まだ大学生の私でしたが、友人と共に暖簾をくぐりました。色白で、少し痩せ肉で、気風の良さそうな黒縁メガネの人物でした。貧乏学生の私たちは、握りの「並み」を頼みました。
 
それから何か月かの後、再び友人とその「だんらん」に行き、「並み」を注文しました。その帰り道、友人が、
「君のには海老がなかったね。覚えていてくれたんだね。」
と言ってくれました。私は、初めてその店に行った時、エビアレルギーがあることをご主人に話していました。
 
私も、彼には海老を出し、私には魚の白身を黙って握ってくれたことに気づいていました。お互いに口にはしませんでしたが、思いを思いで味わえること、こんな貧乏学生の苦手なものまで覚えていて下さることに感激し、職人魂を見た思いがしました。
 
その後、私は茶筒に貯めた小銭を抱えて行き、お寿司を食べさせてもらったこともありますし、お店の二階の生活の間を借りて結納を交わさせていただいたこともありました。
「うちには、ちゃんとした物置台がないから、馴染みのお客さんから借りました。」
そんなことまでしてくださったご夫婦です。宴は、フルコースでした。
 
そのご主人が、急に体調を崩されたのは74歳となる1昨年の12月のことでした。普段、お元気な方だったのに、いきなりの大病に見舞われました。何日間か生死の境を彷徨ったそうですが、夢に現れた白髪の老人と布団の上にドーンと覆いかぶさってきた大きなカブトムシのおかげで、ようやく覚醒できたそうです。
 
一年が経った昨年の12月29日に、私は本当に久しぶりに上京し「すし屋のだんらん」を訪ねることができました。体調を慮って、夜だけの営業にシフトチェンジしていました。マスクをしていたので気づかれず、自ら名乗ると、ご亭主と奥さんは驚きの声で迎えてくれました。
 
私は開店早々の午後5時に暖簾をくぐりましたが、30分ほどの間に予約の御贔屓さんや私のような飛び込みの客で席が埋まりました。ご主人は、開腹手術の跡を庇いつつ、思うように動かせない体に難儀そうにしながらも、板場に立って客のために寿司を握ることのできる喜びを指先に籠めていました。彼の右横のカウンターからその動きの一部始終を見させてもらいました。
 
私は、何も注文しませんでしたが、
「時間は、大丈夫でしょう?ゆっくりしてってください。」
と言い、お客さんからの注文の合間を見ながらあれこれ握ってくれました。
その指は、懐かしい曲を奏でるように動きました。
 
ご主人は、忘れていなかったのか、海老の握りは出ないままでした。鼻の奥がツーンとしたのは、ワサビのせいだけではありません。
 
2028年の夏に50周年を迎えます。「またその時に。」の言葉を残して店を後にしました。


※画像は、クリエイター・中村保晴さんの、「寿司を握る」1葉です。「コロナ時代の飲食店経営『逆転の思考』」のタイトル付きでした。お礼を申し上げます。