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No.985 逆泣き!?

1か月間の間に両方の耳にタコ(胼胝)が出来ました。1歳半の孫のギャン泣きのタコです。
 
「泣く子と地頭には勝てぬ」
と言います。我が家の『日本国語大辞典』(小学館、縮刷版、昭和56年5月20日発行)によれば、以下のように記されていました。

なく子と地頭には勝たれぬ[勝てぬ]
(泣く子が聞き分けのないことと、地頭が横暴であったところから)どんなに道理で争ってみても勝ちめのないことをたとえていう。泣く子には千人の武者も叶わず。・譬喩尽-三「泣児と地頭(ヂトウ)とには不レ克(カタレヌ)」・滑稽本・人間万事虚誕計-後「ヘン、なく子と地頭(ヂトウ)にはかたれぬとは、よくいったもんだ」

『日本国語大辞典』(小学館、縮刷版、第8巻、P221より)

このことわざの初出例『譬喩尽(たとえづくし)』とは、江戸時代後期の1786年(天明6年)に成立した松葉軒東井編の諺語辞典のことです。江戸時代に、民間で実際に使われていた慣用表現・諺・詩歌・童謡・流行語・方言などを広く集めた資料で、いろは順に並べているそうです。すでに240年近くも前から、民間に知られていたことわざでした。
 
要するに「道理の通じない子供や権力者には、道理で争っても勝ち目はないから、黙って従うのが良い」と言う戒めなのですね。トホホ…。
 
江戸時代の「地頭」とは、辞書的には、
「幕府や各藩が家臣に与えた知行(領地)の領主のことで、地域の徴税や司法に強い権限を持ち、『地頭に法なし』ともいわれた。」
とあるように、「朕は国家なり」と言ったどこかの国の誰かさんのような、絶対主義的で封建的な温床でもありました。地頭によっては、苦労を強いる農民泣かせの存在だったようです。
 
では、「泣く子」と「地頭」を戦わせたら、どっちに軍配が上がるのでしょうか?フフフ。やっぱり、
「泣く子には千人の武者も叶わず(敵わず?)」
ということで、「地頭」もお手上げ、「泣く子」の勝ちということになるのでしょうね。
 
そんな「泣く子」が母親と共に、今夏、我が家に1か月以上も滞在してくれました。帰省初日の夜、一緒に風呂に入った時点で、「人さらいに遭っても、ここまで泣くか?」と言うほどのギャン泣きの洗礼を浴び、トラウマになったのは、孫よりも爺の方でした。さいわい、官憲介入の世話になることなく、粛々と(?)ギャン泣きの日々は続きました。
 
「大分馬鹿爺(OBJ)」を自認する私でしたが、ギャン泣きには、すっかりやられてしまいました。耳ふさぐべきか塞がざるべきか?怒るべきか怒らざるべきか?心は千々に乱れます。娘には、娘なりの教育観、母親としての子育て観がありました。
 
しかし、娘はリモートワークで9時から17時まで2階の一室でお仕事です。カミさんもダンスや文化講師のお仕事でおでかけです。自動的(宿命的?)に、一人ぼっちで取り残された「暇ジンガーゼット!」の私に、重責が担わせられることになるのです。これが、女性に面と向かって歯向かうことの出来ない小心者の私の「生きる道」です。
 
あれが違うと言っては泣き、これじゃないと言っては泣き、つまずいて転んでは泣き、アニメが終わったと言っては泣き、お爺ちゃんのパソコンのカーソルを取り上げられたと言っては泣き、オヤツのお代わりが遅いと言っては泣き、自分でちぎったメモ用紙が不味いといっては泣き、ママ、バーバがいないと言っては泣き、眠気と戦いながら泣き、起きてから寝るまで彼の中の「ギャー泣きメーター」は、右に左に振りきれんばかりに大きく揺れます。理不尽の嵐に、泣きたくなるのは、本当は、ぼ・ぼ…の方なのです。
 
普段は、夫婦共働きの若者の家庭です。日中は、保育園で預かってもらっているから何とかなっていますが、子ども一人でもなかなか大変です。近くに親御さんがいなくて、子どもさんが2人、3人といるお母さんの大変さが心底思われました。いや、シングルファーザーやシングルマザーもおられるはずです。支え合い、受け入れることのできる社会や制度の必要性や重要性を、短期間ながら肌で感じています。「昔はこうだった!」的子育て教育論は、もう通じにくい社会の構造です。決める立場にある政治家たちは、現実を直視してほしいと思います。
 
長野に戻る2日前、暫く入らなかった風呂に一緒に入ったら、一度も泣きませんでした。やっと彼の中に爺の市民権を得られたようです。頭のてっぺんから爪先まで、泡石けんを使って素手でしっかり洗ってやりました。その形状や、その柔らかさ堅さや、その温かさを指先に覚えさせようとして…。
 
私の夏休みは、孫の長いギャン泣きに始まり、短いギャン泣きで終わりそうです。今日は、どんなギャン泣きを見せて大分を立つのかな?でも、怒涛の日々だったのに、逆に寂しすぎて、もう泣きそうです。

「逆(ぎゃん)泣き」は、私?


※画像は、クリエイター・Harry-sanさんの、タイトル「大人から子への無条件の肯定が大切な理由 - 自己肯定感を育む家庭の力」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。自己肯定感を育んでやることの難しさを、おもいっきり知りました。