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No.548 骨のあるお話?

「骨太の方針」の言葉は、新政権が誕生すると声高に用いられる用語のようです。その方面やその世界にはさっぱり暗い私なので、ちょっと調べたら、正式には「経済財政運営と改革の基本方針」のことを指すようで、小泉政権下の経済財政諮問会議の時から使われ出したといいます。21世紀元年(2001年)以降の用語らしく、ある解説では「骨太の方針も、近年は総花(そうばな)的で焦点が見えづらくなった」と指摘していました。

「総花」の言葉さえ知らなかった私ですが、本来の意味は、「料亭や遊女屋などで、客が使用人など全員に出す祝儀のこと」をいった言葉だそうです。私が知らないのも道理です。つまり、「総花」の「花」が祝儀を意味し、すべての関係者をまんべんなく立ててやること、恩恵を与えることという解釈になったようです。ちょっぴり、ヘーボタンです。
 
さて、政治の世界では「骨太」が幅を利かせているようですが、我々庶民の世界では「骨のない魚」が好まれているという話をテレビのニュースでやっていたのが、これまた21世紀の初め頃のことでした。いわく、
 「近年、日本の食卓に骨のない魚が上り、特に小さい子どもを持つ親や介護老人(病院食)等に喜ばれています。」
という内容でした。
 「とはいえ、加工会社では、骨を抜く手間のかかる大変な作業は、低賃金で雇える外国の労働力に頼っているということです。」
という話を付け加えることも忘れませんでした。
 
魚の小骨が喉に刺さることを恐れたり、下処理を面倒くさがったりする大人は増えており、捌かれ、骨を抜かれた魚を重宝しているようです。私も、子どもの頃に何度か小骨が喉につっかえたことがあります。医者の世話にこそなりませんでしたが、あの痛みと怖さは刷り込まれています。ご飯や味噌汁を丸ごと飲み込み、涙目になったものです。だからこそ、より注意しながら焼き魚を食べるようになりました。
 
「危険因子は前もって取り除いてやる」ことの大切さも否定できませんが、「小骨には要注意!」と自覚する本人や回りの意識も大事なのではないかと思っています。事なかれ主義に陥りがちで、性急に結果を求めがちな風潮がありますが、骨抜きにされるのは魚だけではないかもしれないと、そのニュースを見ながら考えさせられたのでした。