No.1234 忘れるべからず
「続気楽な散歩。(散歩と呼んで下さい)」さんのブログ(2024年5月6日)のタイトルは、「貧乏草に小金虫」でした。
私は、自他共に認める「貧乏人」のくせに「貧乏草」の名を知りませんでした。悔しかったので調べてみました。どうも、ヒメジョオンやハルジオンの蔑称のようです。
生命力が強く、どんな環境でも繁殖するヒメジョオン(ハルジオン)だそうですが、庭の手入れにお金をかける家には生えず、手入れが行き届かない貧乏な家だと伸びやすく、又、お金がなくてもこの雑草は育てられることから「貧乏草」と呼ばれるのだと言います。フムフム、まことにわが家などにはふさわしい花です。
さらに、「折ったり摘んだりすると、貧乏になってしまう」という尾ひれまでついてしまう可哀想な花であり、人間の恣意によって軽んじられてきたように思います。
「福岡生きものステーション」のページに「原産地は北アメリカ」だというヒメジョオンの説明に、
「江戸時代末期に鑑賞用として渡来し(当時は“柳葉姫菊”と呼ばれたという)、明治初年(1868年)には野生化した。県内には明治末期から大正初期(1910年代)に侵入・定着したと考えられている。」
とありました。我が大分県にも同じ頃に渡って来たものと思われます。
この「貧乏花」(ヒメジョオン、ハルジオン)には「追想の愛」というロマン漂う切なげな花言葉もあります。開花すると上を向きますが、蕾の状態だと下を向いているのだそうです。その姿から、「過去の恋愛を思い返している人」のように見えるので、「追想の愛」という花言葉がつけられたといわれます。蕾と開花の向く姿の違いを敏感に感じ取り、花の特徴に似合う花言葉を言い当てた「最初の人」は、一体どんな人だったのでしょう?どことなく、ゆかしく思われます。
昨日の「TakeKuroki」さんのブログ「Today's selections #2025」(5月10日)の19枚目の画像もヒメジョオンでした。陰影の中にクッキリと浮かび上がったその花は「貧乏草」どころか、優しく気品をまとっている可憐な花のように拝見しました。
貧乏草の生えるような貧乏な家でも、また、そこに住まう者であっても、置かれたところで輝く前向きな志を忘れないでいたいと思わせる1枚でした。気づかせていただき、有り難うございました。
「ひめじょおん作り込まない庭が好き」
高澤良一(1940年~)
※画像は、クリエイター・大塚裕人:ゆうさんの、「鶴見緑地公園で出会ったヒメジョオン」の1葉をかたじけなくしました。清々しさを感じます。お礼を申し上げます。