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No.999 父ありき、母ありき

父母の思い出と言うと、私が中学2年の時に柔道で骨折したことをすぐに思い出します。他校との交流試合の途中に起きた事故で、脳天に「グキッ!」という鈍い音がしたと思った瞬間、電気がビリビリッと走ったような鋭い痛みが全身を駆け巡りました。「うぎゃー!」と声を上げました。死んでも、二度と味わいたくない痛みでした。
 
私は、左足の脛骨の中ほどを折り、一気に腫れ上がりました。心臓がスネに移動してバクバク音を立てているようでした。田舎の事とて、大きな病院ではなく、小さな整骨医院に運ばれました。柔道上がりの強面の先生から「任しとけ!」と言わんばかりのニヤリと笑った顔が不気味でした。しかし、後から考えると、名医だったのでしょう。
 
治療を終えて家に戻ると、農婦の母は、息子の痛みが尋常でないことを察したのか、涙を流して寄り添い、甲斐甲斐しく手助けしてくれました。優しい母でした。
 
一方、夜になって帰ってきた父は、意外に元気そうな私の顔を見るなり、
「親に心配かけて、スミマセンの一言も言えんのか?」
と言って、げん骨を食らわせました。父は、息子の顔を見て安心し、一日中心配していたことが急に腹立たしく思えてきたのでしょう。戦争から復員した厳しい父でした。しかし、私は父の気持ちというか、愛情が嬉しくて、その日初めて泣きました。
 
複雑骨折していましたが、名接骨医の治療のお陰で手術もせずに1か月で歩けるようになりました。今から56年前に60代の「赤ひげ」ならぬ「鼻ひげ」先生でした。
 
私が大学生になり、父母から新米が送られてくる時も又、ハッキリした違いがありました。父は段ボール箱に米袋を入れ、四隅には新聞紙を丸めて押し込み、「大変だろうが、頑張れ!」の一言を書いたメモを入れて送ってきます。簡単明瞭、淡白この上ない届け物です。
 
他方、母は、段ボールに米袋を入れ、四隅には必ず野菜や菓子を詰めてくれました。余白を無駄にせず、何かほかに食べさせてやりたいものを押し込むという心遣いがありました。健康を気遣う長い手紙も忘れませんでした。心のこもった届け物でした。
 
二昨日の夜に、息子の嫁の実家から、もう新米が届きました。毎年、新米と篤い心を届けて下さる有り難い親戚です。その段ボールの四隅には、お婆ちゃんが畑で育てたサツマイモとゴーヤーとシシトウが、ぎっしり詰められていました。愛情深く育てられた嫁を思い、今は亡き我が両親を思い出させていただきました。頭の下がる、有り難い届け物でした。
 
「新米は固めに炊けといふ佛」
 伊藤白潮(1926年~2008年)
私は米を炊くときに「氷」を入れると良いと聞き、1合に対し2~3個ほど入れています。まだ室温も温かいので、氷で少し冷やして炊くと美味しく出来あがるように思います。


※画像は、送っていただいた伊勢の国の新米です。私の写真の腕はイマイチですが、新米の味はバツグンでした。噛むごとに深い甘みが口いっぱいに広がって、歯磨きするのが勿体ないと思われました。