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No.592 あの名句から333年が経ちます

2週間ほど前のこと、歩いて帰宅中に大型商業店の裏手にある団地の一軒の家の庭にある合歓の木に今を盛りとたくさんの花が咲いていました。女性のつけ睫毛のように艶やかで繊細で長く、淡いピンクのグラデーションも目を引きます。掲載画像は、その一葉です。

合歓の花と言えば、やはり、松尾芭蕉の名句でしょうか。
「象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」
1689年(元禄2年)3月27日(陽暦5月16日)に門人の河合曽良と江戸を立った芭蕉は、6月16日(陽暦8月1日)に雨の中を象潟のほとりの集落、塩越にたどり着いたといいます。
 
翌17日は、待望の象潟巡りをしており、水辺の蚶満寺(かんまんじ)からの絶景を楽しみ、祭礼での踊りを見物し、舟での遊覧もするという、人もうらやむような旅の様子が曽良の「日記」には記されています。
 
この時に見た合歓の花の風景を、芭蕉は中国古代の美女にたとえたのでしょう。雨にしっとりと濡れる合歓の花は、いかにも憂いを秘めた西施(越の国から呉の国王に献上された美女)を彷彿とさせるというのでしょう。たおやかで優美な女性が思い浮かびます。
 
芭蕉は『奥の細道』にこうも記しています。
「俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。」
(その俤は松島に似て、松島とは違う。松島は笑っているようであり、象潟は、寂しさに悲しみを加えてうらんでいるようであり。その地形は愁いに沈む女の姿のようだ。)
 
そんな象潟の土地の形状と趣きを、美人西施への思い入れと重ね合わせた句の景色の大きさ奥行きの深さに心を持って行かれるのかもしれません。あの句から333年後の今年、芭蕉も目にした象潟の合歓の花も咲いている頃でしょうか。
 
日本を始め、朝鮮半島や中国、ヒマラヤ、インド、イランなどにも分布している花で、その葉は、夜になると閉じて下に垂れるように見えます。その様子が眠るように見えるところから「眠りの木」→「ねむ(ねぶ)の木」となったとされます。中国では、夫婦が仲良く眠る姿になぞらえ、合歓木と呼ばれるという解説も目にしました。淡紅色の長いおしべが扇子状に開花します。その色合いは優しく、また桃のように甘い香りがするということで雅な女性の風情をたたえているようにも見えます。
 
私には、歴史をまとって鮮やかにたたずむ可憐な花が、静かに見る者の心に訴えているようにも思われるのです。