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No.494 ちむどんどん!

武井壮さんは、「百獣の王」の呼び名を標榜するアスリートであり有能なタレントです。そのことは、陸上十種競技の元日本チャンピオンだったり、マスターズ4×100mの優勝者だったり、俳優として映画にもテレビにも登場したり、インド映画では海外デビューもしたり、アイドルグループの曲の作詞をしたり、社会人サッカーチームの監督をしたり、日本フェンシング協会会長に就任したり、北海道日本ハムファイターズの臨時コーチを務めたり、ラジオ番組でのパーソナリティーもこなしたりと、八面六臂の大活躍で証明されています。

ムキムキに鍛え上げられたボディーだけではなく、文化活動面でもその才能を発揮しており、2017年からの「NHK俳句さく咲く!」や2020年からの「NHK俳句」の司会者も担当しています。その作品鑑賞や批評眼は、撰者とはまた一味違った視点観点があり、鋭い発想や感性の発言に惚れ惚れしてしまいます。俳人たちが生きていたら彼の作品の読み込みを大歓迎したのではあるまいかと思うほど、細大漏らさぬ心豊かな味わい方です。天は二物を与えてしまったのでしょうか。

昨日(17日)の「NHK俳句」の撰者は星野高士(高濱虚子のひ孫)さん、ゲストは元力士の舞の海さんでした。当日の兼題(前もって与えられていた句のお題)は「春風」でした。星野さんは、まず虚子の句
「春風や闘志抱きて丘に立つ」
を紹介されました。この句は、高浜虚子が39歳(1913年)で俳壇へ復帰した際に詠んだ作品だそうです。

 正岡子規の弟子だった虚子は、子規の没(1902年、34歳)後は俳句をやめ、小説の創作に没頭していました。ところが、同じく子規の弟子だった河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が、従来の五・七・五や季語といった形式にとらわれない新傾向俳句(自由律)と呼ばれる歌風を提唱します。この芸術活動に虚子は猛反発しました。伝統的な五・七・五で季語を用い、客観的に写生したものが俳句だとする考えの元、虚子は俳人として再出発を決意します。その時に詠んだのが、先の
「春風や闘志いだきて丘に立つ」
の句だというお話でした。強い決意や信念のようなものが爽やかに伝わって来る歌です。

 実は、虚子と河東碧梧桐は同郷愛媛の出身で、伊予尋常中学校(現、愛媛県立松山東高校)では、1歳上の碧梧桐と同級でした。ともに京都の第三高等学校(現、京都大学)に進学し、下宿に「虚桐庵」と名づけるなど、常に行動を同じくする仲でした。しかし、師の正岡子規の死後、俳句観の違う2人は交流の機会が減ったといいます。それでも、1937年に碧梧桐が亡くなる直前、知らせを受けた虚子は枕元に駆けつけています。主義主張は違っていても人間としての気脈は通じ合い、敬愛していたのでしょう。

 さて、昨日(17日)の「NHK俳句」の入選作9句の中で、舞の海さんも、武井さんも、そして視聴していた私も、良い句だなと推したのは、
「春風や入山僧の小さき荷」
という福井市に住む西村圭子さんの句でした。必要最低限の荷物しか持たず娑婆の世界から修行の世界に飛び込もうという若い僧の並々ならぬ覚悟や決意を、春風が優しく温かく包んで送り出そうとしている、そんな情景が髣髴とする句でした。

 その句の鑑賞の時に、武井さんが、2016年に中国の嵩山(すうざん)少林寺で修業をした折の思い出話をしました。多くの少年たちが厳しい修行に明け暮れ、何一つ楽しみが無いように思われたので、武井さんが少年に
「毎日、掃除と稽古と御飯だけの生活でつまんなくない?町に行きたくない?」
と聞きました。すると、
「どこに行っても、物が多くても少なくても、自分が成長すればそれが楽しみだから、つまらなくない。その楽しみの方を広げていきたい。」
と答えたことに感動したそうです。
「10代の少年に40代のオジサンさんが教えられました。」
と武井さんは語っていましたが、彼の感性を物語るようで、だからこそ日本からの特別な修行者に選ばれたのだなと思いました。スポーツ面でも文化面でもマルチな才能を発信してくれる魅力ある彼の活躍を期待しています。

 ちなみに、来週の日曜日(24日)の午前6時35分からの「NHK俳句」のゲストは、あの日中合作の感動のドラマ「大地の子」で陸一心(松本勝男役=上川隆也)の妹・あつ子役を好演した永井真理子さんがゲストだそうです。もう、ちむどんどんしています!