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No.582 短歌によって気づかされた、今は亡き二人の思い

あと1ヶ月で77回目の終戦記念日を迎えます。
次に掲げた本は、1942年(昭和17年)9月に初版発行された『加賀の千代女』(川島つゆ著、小学館、8000部、定価1円40銭)です。その裏表紙には、

上掲写真右の筆跡が残されてありました。
 「昭和十八年四月二日
  村山中尉殿ヨリ
 なつかしき君の残せし 
     おくりもの
 おくりし君の
     姿を偲ばる」
その純真な歌いぶりから、10代後半の女性の手になるものだろうと思われます。戦地へ赴く若い将校が、好きな女性に「形見」のつもりで贈ったものだったのではないかとも想像するのです。
 
「朝顔につるべ取られてもらひ水」
江戸時代中期の俳人・加賀の千代は、女性らしい優しい思いやりある句を残しました。生涯で約1700余の句を残したといわれる千代ですが、この句は彼女の代表作として広く知られています。それこそ、村山中尉が、この女性に託した思いだったのかも知れません。心優しき大和撫子であれと…。
 
昭和17年6月にミッドウェイ海戦で日本海軍が惨敗、11月には、ガダルカナル撤退が決定されました。翌、昭和18年4月には連合艦隊司令長官・山本五十六(60)が戦死、同月、アッツ島日本守備隊が全滅。戦局は困難の一途をたどるのです。昭和18年10月21日に明治神宮外苑の陸上競技場で行われた出陣学徒の壮行会は、その画像でも有名ですが、最初の学徒兵の受け入れは、陸・海軍ともに同年12月だったとのことです。
 
とするなら、昭和18年4月に村山さんが中尉であったことは、学徒ではなく軍官だったということでしょうか。そして、この女性との別れのカウントダウンは、すでに始まっていたのです。
 
私が、この『加賀の千代女』の本を手に入れたのは、大学生だった1975年(昭和50年)頃のことです。この本を送られた女性が、昭和18年に仮に10代後半だったとして、昭和50年は50歳前後でしょう。彼女にとって忘れがたい村山中尉であり、生きている間は、何としても手元に置いておきたい大事な本だったと思います。
 
ところが、この本が古本屋に並んでいたという事は、彼女が既に亡き人となったことを意味するのだろうと想像します。本に焼け焦げた跡がないことから、家族が遺品の整理をした中にあったのだと思われます。空襲のさなか、本は持ち出せたけれども彼女は命を落としたか、あるいは、病のために帰らぬ人となったのかも知れません。
 
その後の敗戦までの過酷な現実を思う時、村山中尉が無事に帰還し再会が叶ったのならば、この本が私の手に渡る事もなかったと考えます。それにしても、彼女が追慕に生きた時代が、長く続くことはありませんでした。
 
この本には、持ち主の名前も、住所も、村山中尉についての情報もなにも書かれていません。だからこそ、想像をたくましくしてしまうのですが、彼女のこの一首だけが、村山中尉の存在と、彼を慕う若い女性の存在を物語る縁となったのだなと思います。二人のことを気づかせてくれた三十一文字のお手柄でした。その水茎の跡は、今も初々しい表情を留めています。
 
二人の心が刻まれた本を、今年も8月15日に手向けます。