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No.665 研いだのは包丁だけではありません

もう30年以上も前の冬、サンタさんから「刺し身包丁」をプレゼントされました。このサンタさんは、魚をさばくのが苦手です。でも、食べるのは得意です。その旦那さんに包丁を進呈して腕を上げさせ、ご自分はラクして食べようとの魂胆です。
 
今も台所で使っていますが、「刺身包丁」は「のこぎり包丁」に変身しています。実は、「刺身包丁」の翌年は、ご丁寧にも「砥石」を送りつけてきたサンタですが、研ぎの難しさに観念した旦那さんは、砥石をお蔵入りさせてしまったからです。
 
「研ぐ」と言えば、小川国夫の「物と心」(昭和41年)という短い小説があります。兄弟が、駅の貨車積みのホームへ行き、鉄のスクラップの中から拾ってきた小刀を一本ずつ懸命に研ぐだけの話です。しかし、ただ無心に研ぐ兄に対して、邪心に囚われ葛藤する弟の心の内が見えてきます。そして、その淡々とした事実の羅列の雄弁さに「心を研ぐ」ことの意味や、兄のように「動じずに打ち込む」心のあり方を教えられるのです。
 
その数年後、地区の公民館から借りてきた山本一力著『研ぎ師太吉』を読みました。
「一本の庖丁が暴いていく、切ない事件の真相とは。切れ味抜群の深川人情推理帖」
とは、出版社のキャッチコピーです。その中で主人公の太吉に説き聞かせる師匠楯岡龍斉の「研ぎの極意」に我が頭をひっぱたかれる思いがしました。
 
「切れ味は、すでに刃物の内側にひそんでおる。研ぎをする者の務めは、刃物を砥石にあてて、その切れ味を内からとりだしてやることだ」
研ぎ師の腕が良いから刃物に切れ味が生まれるのではないとする師匠の考え方は新鮮です。子どもたちそのものが持つ力を引き出すにはどうしたらよいか?自分自身としての「研ぎ」、教育する者としての「研ぎ」の意味が問われる作品でした。
 
「行く年の水を真横に研師かな」
(俳人、若井新一)
清冽にして、凛とした句です。69歳の秋も暮れてきました。


※画像は、クリエイター・ミーコ♥生き方研究家さんの、タイトル「ミーコとねこ(´∀`*)ウフフ🌈 💕🎶ฅ^•ﻌ•^ฅ~みんなのやる気スイッチはどこ? の巻~」をかたじけなくしました。「研ぎ」の心を感じます。お礼申します。