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No.1318 小さな気づき

本を読み返した時や、映画(ドラマ・舞台)を観なおした時などに、
「あれ?こんなシーンあったっけ?」
と思ったことはありませんか。

最近、韓国ドラマ「商道」(サンド、2001年~2002年MBC放映、50回)の再放送がBS日テレで始まりました。概要は、次のようなお話です。
「舞台は19世紀の朝鮮王朝時代。”商道”を追究したその商人哲学と知徳で数々の苦難を乗り越え、奴婢から高位官職にまで上りつめた実在の大商人・イム・サンオクの生涯を描いた歴史大作。」
 
その第7回(7月26日放送)で、こんなシーンがありました。主人公のイム・サンオク(林尚沃:主演、イ・ジェリョン)が重罪人として鉱山に送られる道中、立ち寄った村で疫病が流行し、サンオクは護送中の盗賊の頭ユクソンと遺体の処理をさせられることになりました。そこへ盗賊の頭を助けるべく部下が現れ、サンオクの目の前で役人たちを殺したために警察役人たちから追われる羽目に。サンオクは逃げ延びて山奥の寺で身を潜めます。
 
その寺で薪割の手伝いをしながら身を隠していたサンオクに、彼の心に潜む憎しみの心を読み取った和尚が、握りこぶしをサンオクの前に突き出して問いかけました。
「この手の中にあるものは何か?」
サンオクは答えられません。和尚は、黙って通り過ぎました。
 
あれ?こんなシーンあったっけ?
まるで禅問答です。和尚は、「作麼生」(そもさん)とは言いませんし、サンオクも「説破」する訳でもありません。その場面を観ながら、私は
「その御手の中にあるのは、無にございます!」
「そうじゃ、無じゃ!無の心で生きるのじゃ!」
そんなやり取りになるのかなと想像しました。皆さんなら何と答えますか?
 
さて、薪割に疲れたサンオクが、石に腰かけて休憩し、薪の上に置かれた鋭く光る斧の刃をじっと見つめているうちに、ハタと気づいたことがあり、和尚の部屋に向かいました。
「和尚様、この手の中にあるものは何ですか?」
今度は逆にサンオクが、握りこぶしを和尚の前に差し出しました。鋭いツッコミです。
「それは、剣じゃ。剣は人を生かしもし、殺しもする。わしの剣は、殺すと同時に生かす剣じゃが、お前の剣は殺める剣じゃ。千の剣で成すべきことがあるのに、お前はただ1つ、殺人剣しか持たぬ。殺人剣を捨て、人を生かす千の剣を持て。悪魔の心を振り払えようぞ。」
そんな意味の言葉で諭しました。私の予想は、大外れでした!
 
人生には、人に騙されたり、裏切られたり、不条理な言いがかりをつけられたりすることがあります。心の刃は、肉体に受ける以上の苦しみや傷を負うこともあります。それゆえに、人を恨み、憎み、呪い、報復を腹に持ち続けるサンオクの心情に深く同情してしまうのですが、和尚は、その悪魔の心を振り払えと教えるのです。ひいては、それが自分自身を助ける生き方となるからなのでしょうか?
 
「言うは易く、行うは難し。」ですが、さればこそ、その行いは尊くもあるのでしょう。私の掌の中にも、長くくすぶっている穏やかならぬ火種があったりします。和尚は、サンオクだけに言ったのではなかったのだなと気づきました。「怨」ではなく「恕」の心を持てと。


※画像は、クリエイター・「パリ彩々。| 見ざる着飾る言わざる」さんの「ブレスレットをつけたにぎりこぶし」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。