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No.1242 白昼夢の人

♪  橋を作ったのはこの俺だ
 道路を作ったのもこの俺だ
 強いこの腕とこの体で
 この国を作ったのは俺たちだ~
昨日の「新プロジェクトX 世界最長 悲願のつり橋に挑む ~明石海峡40年の戦い~ 」(再放送)を見終わった後、その歌が思い浮かびました。
 
「橋を作ったのはこの俺だ」(I'm the man that built the bridges)は、1962年(昭和37年)にアメリカのシンガーソングライターのトム・パクストンが作詞・作曲したものを、フォークシンガーの高石ともやが訳詞して1968年(昭和43年)に発表したものです。私は、その昔、歌声喫茶「どん底」(新宿)でみんなと歌ったきりです。
 
明石海峡大橋がつくられる以前には、激しい潮流の海域であるこの場所で、
1945年(昭和20年)12月、明石海峡で連絡汽船が沈没し、死者304人もの大惨事が発生。
1955年(昭和30年)5月、瀬戸内海を航行する連絡船が沈没し、修学旅行中の児童などを含む死者168名の大事故が発生。
という憂慮すべき惨劇が起きており、本州と四国を繋ぐ連絡橋の建設の要望と機運が一気に高まったと言います。
 
その明石海峡大橋の着工を最も望んでいたのは、土木技術者から神戸市長に転じた故・原口忠次郎(1976年没、86歳)氏でした。戦後復興を果たした1975年(昭和50年)に、
「今こそ、神戸と四国を橋で結び、陸続きにすべきだ」
と訴えたことから海峡大橋の物語は始まり、明石海峡大橋の実現に向けた調査などに行政手腕を振るったと言いますが、起工式を観ることも叶わず病に倒れました。
 
その明石海峡大橋は、1986年(昭和61年)4月に起工式、1988年(昭和63年)5月に着工しました。ところが、メインケーブルの張り渡しが終わった1995年(平成7年)1月に、橋のほぼ直下で兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生しました。奇跡的に大きな損傷はなく、1か月後に工事の再開が可能になったと言います。

空前の長さへの挑戦、20世紀最後の大工事と呼ばれ、当時世界一のつり橋建設に挑んだ人々の物語は、着工から10年後に竣工し、1998年(平成10年)4月に開通しました。

兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋を結ぶ全長3,911m、総重量193,200トンの大つり橋です。この工事にかかわり、不可能を可能にした無名の人々の数は、延べ210万人だったそうです。一人の犠牲者もなく完成したことも世界に誇れる大つり橋です。

兵庫県神戸市垂水区東舞子町にある都市公園(舞子公園)には、「夢レンズ」というモニュメントがあります。明石海峡大橋の生みの親であり「白昼夢」と揶揄された元神戸市長の顕彰碑として、その言葉が刻まれています。
「人生すべからく
 夢なくしてはかないません  原口忠次郎」

夢あればこそ、夢は叶う。顕彰碑の前に明石大橋の偉容は、建設に携わった人々の志の高さと、対岸に住む人々との長年の夢とを心を「証」するもののように見えました。絶景でした。


※画像は、クリエイター・「Ami-go/本質的でユニークな人生を🎵」さんの、明石海峡大橋の1葉です。「向こうに見えるのは大好きな淡路島。橋とのコラボレーションが最高です。」という解説にも、人々の憩う姿にも心惹かれました。お礼を申し上げます。