No.1406 馬も私も肥ゆる秋
「大化の改新、虫五匹!」
日本史の年号の覚え方の例です。645年なので6=む、4=し、5=ご匹と覚えさせられました。中大兄皇子や中臣鎌足などが中心となって推し進めた政治改革のことです。「虫五匹」の他には「蒸しご飯」というホッコリするものや「虫殺し」などという物騒な覚え方もありました。「無事故(645)で世直し大化の改新」には標語のような味わいがあります。
同じ645年に中国で生まれたのが唐代の詩人・杜審言(としんげん)です。その人が友人で詩人の蘇味道(そみどう)に送った詩が「贈蘇味道」です。その律詩の第五句目に、
「雲淨妖星落 秋深塞馬肥」
「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」
(雲が清くなり不吉なことが起こりそうだ。なぜなら秋が深まり敵の匈奴の馬がたくましく成長しているから。)
とあります。
「秋が深まると、体力をつけた馬に乗って匈奴が攻めて来るから、気をつけろよ!」
と友人の蘇味道に忠告の歌を贈っているのです。蘇味道は、北方の守備軍に書記として従軍していたと伝えられます。匈奴は、彼らにとって恐ろしい難敵だったはずです。
この詩の一部から「天高く、馬肥ゆる秋」のことわざが生まれたと言います。時候の挨拶で使われたり「食べ過ぎにご用心」など要らん世話として使われたりしますが、元々は、従軍した友への注意喚起の言葉だったのですね。今から1300年前後も前の漢詩の一節です。
ちなみに、この詩人・杜審言(645~708年)は、あの「春望」(国破れて山河在り…)の詩の作者で中国盛唐の頃の杜甫(712年~770年)の祖父にあたるそうです。ヘーボタン!
その杜甫の生きた時代は、日本ではまさに奈良時代にあたり、平城京に遷都され、『古事記』や『日本書紀』や『風土記』や『万葉集』などが編纂され、遣唐使が様々な中国の文化文物を輸入して、日本が大きく発展した時代でした。
「天高く、馬肥ゆる秋」ですね。昨夜はおでんを食べ過ぎてしまいました。
※画像は、デジタルクリエイター・ハタモトさんの「おでん はじめました。」の1葉をかたじけなくしました。大根とコンニャクと餅巾着が好きです。お礼を申し上げます。