見出し画像

No.734 おーい、老いよ!

「老(おい)は忘るべし。また、老(おい)は忘るべからず。」
江戸時代中頃の俳人・横井也有(やゆう、1702年~1783年)は、そんな言葉を残しています。正反対でありながら、言わんとすることは同じなのでしょうか?
 
誰もが、嫌でも年をとります。時計の針を巻き戻せないのと同じように、若かったあの頃に戻ることは、アーウィン・アロンに頼んで「タイムトンネル」(1967年)を開発してもらうか、「バック・トゥ・ザ・ヒューチャー」(1985年)の"ドク"ことエメット・ブラウン博士にタイム・マシンを製作してもらう以外にありません。ありません?
 
横井也有は、尾張藩の重臣でしたが、53歳で勤めを退き、家族と離れ、質素な庵を設けて、俳句や狂歌をたしなんで静かに余生を過ごしたといわれる人物です。

そんな横井也有の「老いの心得」が、先ほどの言葉だそうです。
「年寄りが若い者と同じ場にいる時、自分が年をとっていることに気をとられて遠慮ばかりしていれば、少しも楽しむことが出来ない。だから、『老い』は忘れたほうがいい。」
一方で、
「年寄りが若い者と話すと、耳が遠くなっているから話を聞き間違える。また、聞こえたとしても流行の言葉を知らないから話の中身がわからない。しつこく聞くと、嫌がられてしまう。それゆえに、『老い』は忘れるべきではない。」
ともいうのです。
 
何といっても、横井也有が老人のために作った「七首の狂歌」は辛辣です。
「皺はよる ほくろは出来る 背はかゞむ あたまははげる 毛は白くなる」
「手はふるふ 足はよろつく 歯はぬける 耳は聞へず 目はうとくなる」
「よだたらす 目しるをたらす 鼻たらす とりはづしては 小便ももる」
「またしても 同じ噂に 孫自慢 達者じまんに 若きしやれごと」
「くどふなる 気短かになる 愚痴に成る 思ひつくこと 皆古ふなる」
「身に添ふは 頭巾えり卷 杖眼鏡 湯婆温石 しゆびん孫の手」
「聞きたがる 死にともながる 寂しがる 出しやばりたがる 世話やきたがる」
 3首目の「とりはづす」は「粗相をする」こと。
6首目の「湯婆(たんぽ)」は「湯たんぽ」のこと。「温石(をんじゃく)」は「焼き石」(布に包んだカイロ)のこと。「しゅびん(溲瓶)」は「尿瓶」のことです。
 
かーっ、当たってるぅ!思わず、快哉を叫ぶ「ある!ある!ある!」ではなく、嘆息を漏らす方の「ある!ある!ある!」です。也有老人から
「この七首を老いの鏡として、自分の姿を映してみよ。」
と言われているようです。だからこそ、「楽しむために、老いを忘れなさい」であり「嫌われぬように、老いを忘れなさんな」ということに繋がってゆくのでしょう。
 
それにしても、七首が見事にそろった老人がいたら…、恐ろしや!物理的にどうにもできないことはありますが、心ひとつで何とかできそうなこともあるように思います。そんなことを教えてくれる歌のように思えます。昔も今も…。
 
「入れ歯どこ 冷蔵庫です 冷えてます」
 第22回シルバー川柳
(北海道、85歳、男性)
ゆるりと歳を取りたいものです。

※画像は、クリエイター・モリグチさんの、タイトル「India photography みんなのフォトギャラリー用」をかたじけなくしました。このように歳を取りたい私です。お礼申します。