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No.1317 あぼ? あも?

父が亡くなった5年後の1980年(昭和55年)12月に祖父・松宇は87歳で逝きました。体が動かなくなっても食べることへの意欲は失われませんでした。
「あぼ、食いてえ!あぼが、食いてえ!」
と寝言のようによく言いました。郷土の方言で、「餅」のことです。祖父の田舎の子供の頃の「おもち」と言えば、ぜいたくな食べ物だったはずです。その味を忘れられないのです。
 
とはいえ、高齢です。誤嚥もあります。餅を喉に詰まらせるのではないかと思うと、なかなか望みを果たしてあげられませんでした。そして、ついに、鬼籍に入りました。
 
大分県杵築市大田にある「大田ふるさとづくり協議会」(大田中央公民館)編の「おおたの方言」の巻頭言に、その心意気を示した文章を見つけ、胸に沁みる思いがありました。
「昭和50年代、国は地方の時代を提唱し、農村の文化に光を当てました。長い間、日陰の中を歩いてきた方言でしたが、方言のぬくもりは人々の会話の中に生き続け、その暮らしをあたたかく見つめ支え続けています。
この地域のぬくもりのある会話を大田へ移住してきた人たちが理解できるよう、主だった方言をご紹介します。」
と。私の生まれた杵築市山香町と大田村とは近隣の地域であり、方言は共通しています。
 
その「あ」の項に、
【あ】
あくたれ → 悪口
あげこげ(あげちこげち、あげんこげん) → いろいろ、あーでもこーでも、うろうろ
あけなんこ → 本当の
あっちあられん → 考えられない
あぼ → もち
あおむく → 上を向く
あげえ → あのように
あくそをうつ → 愛想づかし
あど → かかと
あらかましい → おおざっぱ、あらあらしい
あんしゃー → あの人たち
あんのう → あのねぇ
とありました。今も方言は健在です。現代っ子には、なじみの薄い言葉となりましたが。

noteのクリエイター・hachiatryさんのコラム「叶匠壽庵の"あも"」(2024年7月19日)に「あも」がありました。京都・叶匠壽庵の「あも」の由来によると、
 やわらかい女房言葉「あも」
 昔、宮仕えの女性たちが使っていた女房言葉。
 お寿司はおすもじ、饅頭はおまん。そして餅はあも。
 厳しい生活をやわらかく、やさしく、美しく感じ取ろうとした
 女房たちの願いと知恵がうかがわれます。
とありました。「あも」の「も」は「餅」のことでしょうから、宮中では、「あも」(餅)と呼ばれていたのでしょう。それが、地方に伝わるうちに、「あぼ」と訛ったのだと考えられます。
 
わが家では12月30日に「餅つき」をし、正月の鏡餅や雑煮用の餅、あんころ餅を作ります。小豆餡は粒あんで、私の担当です。年に1回の恒例行事ですが、腕はなかなか上がらぬのに、息ばかりが上がります。
 
搗き立てのお餅は、神棚仏棚にお供えします。
「もう、心置きなくたべてください!」
松宇爺ちゃんの
「あぼが、食いてえ!」
に応えられなかったお詫びがてら…。


※画像は、クリエイター・SAKURAさんの、タイトル「かしわ餅の思い出」の1葉をかたじけなくしました。あの餅を包んだ葉っぱは、私の田舎では「かんからいげの葉っぱ」と呼んだことを懐かしく思い出しました。お礼申し上げます。