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No.924 おかあさーん!

鎌倉時代中期に成立した説話集『古今著聞』(集魚虫禽獣第三十)には、猿の親子愛に心打たれるお話が残されています。とても読みやすい本文です。ご一読ください。

「豊前国の住人、太郎入道といふものありけり。をとこなりける時、常に猿を射けり。
 ある日、山を過ぐるに、大猿ありければ、木に追ひのぼせて射たりけるほどに、あやまたず、かせぎ(木のまた)に射てけり。すでに木より落ちむとしけるが、何とやらん、物を木のまたに置くやうにするを見れば、子猿なりけり。をのが傷を負ひて土に落ちむとすれば、子猿を負ひたるを助けんとて木のまたにすゑむとしけるなり。子猿はまた母につきて離れじとしけり。かくたびたびすれども、なほ子猿つきければもろともに地に落ちにけり。
 それより長く猿を射ることをばとどめてけり。」

(豊前の国に、太郎入道という狩り好きの男がいた。在俗のころ、よく猿を弓で射た。
 ある日、山を通り過ぎる時に大猿がいたので、木の上に追い詰めて矢を射たところ、射そこなうことなく木の股にいた猿に命中した。猿は、今にも木から落ちようとしたが、何であろうか、 何かを木の股に置くようにするのを見ると、子猿であった。母猿は、自分が重い傷を負って今にも地上に落ちそうなので、 背負っていた子猿を助けようと、木の股に据え置こうとしたのである。ところが、子猿の方は必死に母にすがりついて離れまいとした。 このように何度も何度もするけれども、やはり子猿が母親にしがみ着いて離れなかったので、母子ともども地面に落ちてしまった。
 それ以来、男は、猿を射ることをやめてしまった。)
 
冒頭の「豊前の国」とは、「福岡県南東部から大分県北西部にかけての旧国名」ですから、大分県にゆかりのある話かもしれないと思っています。この話は、親子の情愛の深さが人間に限ったものではない事を教えてくれます。胸の詰まるようなお話ですが、十分にあり得る話だったろうと推測します。
 
猿と言えば、大分市には野生のニホンザルを餌付けしている高崎山自然動物公園があります。1952年(昭和27年)に餌付けを開始したそうで、現在、1000頭近くがいるそうです。ある番組で、この猿の親子の生態がTVで放映されたことがあります。本当に驚かされたこんなシーンがありました。
 
母親の傍で子ザルが一匹じゃれています。母親は、何度か引き戻すのですが、子ザルは好奇心旺盛で、やんちゃぶりを発揮し、母親のいう事をぜんぜん聞きません。すると、お母さんは堪忍袋の緒が切れたのか、急に子ザルを抱え上げキッと睨みつけると、子ザルの方をガブリと噛みました。子ザルはあまりのことに「キーキー」と甲高い悲鳴を上げました。
 
そのあと、どうしたと思いますか?
お母さん猿は、激しく泣く我が子をグッと抱きしめたのです。言葉はありません。ただ黙って強く抱きしめたのです。厳しさと優しさが1枚の絵に描かれたようでした。愛とは、こういうことを言うんだと胸が熱くなりました。
 
あの鎌倉時代の猿の親子の話は、だから本当にあっただろうなと思います。生き物の親子の情愛、特に母と子の関係は、より一層強く深いものがあるのでしょうね。猿の教育法には、学ぶべきものがあるように思いました。母は強し!


※画像は、クリエイター・おさるの写真家さんの1葉で、説明に「ブラウンケナガクモザルの親子。愛情を感じたシーンです。江戸川区自然動物園にて撮影。」とあるのをかたじけなくしました。お礼申し上げます。