見出し画像

No.599 夭折した作家とデンデンムシのかなしみ

「かなしい」という時、どんな漢字を思い浮かべますか?
1)自分自身の心の状態なら「悲しい」
2)誰かを悼み同情するなら「哀しい」
3)万葉的に肉親への情なら「愛しい」
というのが一般的な解釈でしょうか。

「青空文庫」で新美南吉の「デンデンムシノカナシミ」を読みました。創作童話として1935年(昭和10年)に発表されたそうです。彼の代表作『ごん狐』(19歳の時の創作)から3年後の作品です。ご一読ください。
 
 デンデンムシノカナシミ
 イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。
 アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。
「ワタシハ イママデ ウツカリシテ ヰタケレド、ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ」
 コノ カナシミハ ドウ シタラ ヨイデセウ。
 デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ ヤツテ イキマシタ。
「ワタシハ モウ イキテ ヰラレマセン」
ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。
「ナンデスカ」
ト オトモダチノ デンデンムシハ キキマシタ。
「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス」
ト ハジメノ デンデンムシガ ハナシマシタ。
 スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。
「アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス。」

 ソレヂヤ シカタナイト オモツテ、ハジメノ デンデンムシハ、ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。
 スルト ソノ オトモダチモ イヒマシタ。
「アナタバカリヂヤ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス」
 ソコデ、ハジメノ デンデンムシハ マタ ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。
 カウシテ、オトモダチヲ ジユンジユンニ タヅネテ イキマシタガ、ドノ トモダチモ オナジ コトヲ イフノデ アリマシタ。
 トウトウ ハジメノ デンデンムシハ キガ ツキマシタ。
「カナシミハ ダレデモ モツテ ヰルノダ。ワタシバカリデハ ナイノダ。ワタシハ ワタシノ カナシミヲ コラヘテ イカナキヤ ナラナイ」
 ソシテ、コノ デンデンムシハ モウ、ナゲクノヲ ヤメタノデ アリマス。

私は、中学時代、柔道の練習中に脚を複雑骨折する怪我に遭って悲しみ、高校時代には受験地獄を呪い、大学生の頃は己の才能の無さを嘆き、社会人になってからは理不尽な巡りあわせに不満を抱き、退職してようやく自分の体温に近い生き方ができるようになったと思ったら年金の厚い壁に阻まれて人生設計の変更を余儀なくされ、さらに寄る年波には勝てず、身体のあちこちがいたみ始め、今や毎日「ヤク」のお世話になる憂き身の生活です。ある意味、私も「悲しい時!」(芸人・いつもここから)の連続であるように思います。

「悲」の字源は「非」+「心」でしょう。白川静さんによれば「非」は鳥が飛ぶ際、翼が両側(反対方向)に分かれた姿を描いたイメージだそうで、「心」は感情や心理を表すといいます。だから、「悲」は心が二つに裂ける感情のことだそうです。正に「心にも非ぬ」意味になるようです。

南吉の詩にあるように「悲しみをこらえて生きて行く」ことは、我々人間に与えられた定めのように思います。悲しみや苦しみを抱え、怏々として生きながらも、それは自分だけなのではなく、すべての人間が背負いながら生きる業のようなものなのだという気づきが、孤独から解放させたのかもしれません。そして、悲しみの先にある世界を味わうために、堪えて生きているのかもしれません。とするなら、こらえることは希望に向かっているとも言えそうです。

私は、ある時、詩人・吉野弘の「怏の中に快がある」という言葉を知って、ものの見方や考え方が少し形を変えたことを実感しました。自分を嘆き悲しみ、不平不満ばかりをかこつよりも、その中にいて、わずかずつでも成長する自分を喜んだり、不快な物事でも良い一面の方に目を向けてみたりすることが出来るようになって行ったのです。それは、小さな心の開眼でした。

作家・新美南吉は、結核に悩まされ、師・北原白秋との関係悪化、童話発表の場も失うなど、幾つもの悲しみを抱えていました。デンデンムシは、南吉自身の悲しみでもあったのでしょうか?その後、彼は、転職をし、恋人を失い、更なる病気を得、1943年(昭和18年)3月22日、29歳の若さで永眠しました。そのひと月後の4月18日、連合艦隊司令長官・山本五十六が60歳で戦死しました。そんな時代に生きたのでした。