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No.1128 楽しみを窮める人


先日、高校3年生に最後の国語の授業を行いました。卒業試験が始まるからです。
 
内閣府の高齢者の認知症のページに、
「65歳以上の高齢者の認知症患者数と有病率の将来推計についてみると、平成24(2012)年は認知症患者数が462万人と、65歳以上の高齢者の7人に1人(有病率15.0%)であったが、37(2025)年には約700万人、5人に1人になると見込まれている。」
とありました。平成37年(2025年)とは、令和7年のことです。
 
「人生100年時代」を標榜する日本ですが、一方で、65歳以上の痴呆症の患者が増加の一途をたどることは避けられない今日的な課題のようです。私もその例外ではありません。

では、いかに痴ほうを迎えた家族と向き合うか、私は、そのヒントを江戸時代後期の随筆『思斉漫録』(中村弘毅著、1832年)の中の「亀田窮楽の孝行」の話に見ます。そこでこのお話を3年生にプレゼントさせてもらいました。
 
亀田窮楽(1690年~1758年)は江戸時代中期の書家です。5代将軍綱吉~8代吉宗の時代までを生きた人物です。この人の孝行譚が、胸にグッと来ます。
以前に「No.411 私の好きな古典」(2022年1月20日)で紹介したことがあります。少し長くなりますが、本文に口語訳を添えてみました。ご一読いただければ幸甚です。

(本文)…亡友某の話に、窮楽と言ひしは、書をもよくして名高き人なり。堀川それの所に住まひせしとき、母は老いて病に臥す。客来たり問ひて、次の間にて、窮楽とものがたりする折ふし、暴雨にて、堀川の水たちまちまし、漲り落つる音、高く聞こえけるを、老母聞きて、窮楽を呼び、「何の音なりや」と問ふ。窮楽ねんごろに、その由を述べて、水音なる事をこたふ。母、「さては、さにありしよ」と、うちうなづく。窮楽、席に返りて間もなく、母、窮楽を呼ぶ。「あ」と答へて、ただちに行く。「あのどふどふといふは、何の音なりや」と問ふ。窮楽つつしんで、「あれは、堀川の水増して、漲り落つる音にて候ふ」と初め言ひしごとく答ふ。母笑ひて、「さてはしかるや」と言へるにぞ、また返りて客に対するに、また窮楽を呼ぶ。声の下より立ちて行くに、母、問ふこと同じく、答へもまた初めのごとし。客驚きて、「などて、数度同じことをなしたまふぞ。『先に答へし』と、言ひ切りたまはぬ」と言へるに、窮楽、頭打ち振り、「いや、さてに候はず。母老いて病に冒され、聊耄(りょうもう)せしやうにて、ただ今、問ひし事をも打ち忘れ候ふゆゑ、いく度問はれ候ふも、みな初めて問ふ心にて候ふほどに、こなたも、初めて承り候ふ心にて答へ申し候ふよ」と言ひけるにぞ、客も大ひに感賞せしと語らる。

(出典『思齋漫録』全二巻は、『日本随筆大成』第二期・24巻、吉川弘文館発行、昭和50年1月10日に収録。P145~P146より)

(私的口語訳)…私の亡き友、某君の話だが、(亀田)窮楽という者は書も上手で有名な人である。(その男が)堀川の辺りに住んでいた時に、母は老いて病気で臥せっていた。(窮楽の)客がやって来て、母の部屋の隣の間で談笑していたときのことである、暴雨のために、堀川の水がたちまちのうちに増してきて、水が満ちて勢いよく流れる音が高く鳴り響くのを、年老いた母が(床の中から)聞いて窮楽を呼び、「何の音かしら?」と尋ねた。窮楽は、とても丁寧に、あれは、大雨が降って水かさが増し、勢いよく川が流れる水の音だと答える。母は「それで、あんなにすごい音がしているのね。」とうなずいた。窮楽が客のいる部屋に戻ってしばらくすると、母が(また)窮楽を呼ぶ。「はい」と答えてすぐに行く。「あのドウドウというのは何の音かしら?」とたずねる。窮楽は、礼儀正しく、「あれは、暴雨のために堀川の水が増して激しく流れる音なのです。」と初めに言った通りに答える。母は笑って「ああ、それでなのね。」と言うので、(窮楽が)ふたたび客の相手をしていると、又「窮楽!」と呼ぶ。声がするのですぐに立って行くと、母の質問は初めと同じで、返事も初めと同じようである。客が驚いて、「どうして何度も同じことをなさるのですか。なぜ『さっきお答えしました』と言いきらぬのですか?」と言うと、窮楽は頭を振って、「いや違うのです。母は老いて病気に冒され、耄碌し、たった今言ったことも忘れるようで、何度となく尋ねることも母にとっては初めて聞くつもりでいらっしゃるので、こちらも初めて聞いたつもりで返事をしているのですよ。」と答えたので、客も大いに感動して褒めたと語ったことである。
 
ね、すごいでしょう?
痴ほうの母親が何度同じ質問をしても、本人にしてみれば、さっき(窮楽に)聞いたことは忘れており初めて聞いている気になっているのだから、自分も何度同じことを聞かれても初めてのつもりで答えるのだというのです。何という尊い心でしょう!
 
何度も同じことを答えるのは、我慢の限度を超えることかもしれません。また、それが肉親ならば「しっかりしてよ!」と、より叱咤激励したくなるのも人情でしょう。しかし、患者にしてみれば覚えていないから訊くのです。その窮楽の人となりや、その介護哲学に感動してしまいます。その精神を、生徒に受け継いでもらえたら嬉しいなと思いました。
 
最後まで読んでくださり、有り難うございました!


※画像は、クリエイター・わたなべ - 渡辺 健一郎 // VOICE PHOTOGRAPH OFFICEさんの、タイトル「江戸水上交通の模型」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。