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No.718 親から子に引き継がれる現代学生の三十一文字

35年間、十代の学生たちが歌に詠みこんだ心を刻み続けている応募大会があります。「現代学生百人一首」は、1987年(昭和62年)に東洋大学創立100周年記念行事として始められた短歌コンクールです。その年の第1回目の全国からの応募総数は2,470作品だったと記されています。
 
全国の小学生・中学生・高校生・専修学校生・大学生を対象としたこのコンクールは、その3年後の1989年には応募数が1万首を越え、1992年には2万首、1996年には3万首、1998年には4万首、1999年からは5万~6万首で推移しながら、遂に第35回目となった昨年の2021年には、過去最高となる7万8千首に及んでいます。
 
学生たちに受け入れられ、三十一音の世界に遊び、極めようとする感性豊かな十代の意欲や熱意が伺われます。私は、東洋大学の長年の取り組みに敬意を抱いている者の一人です。
 
1987年(昭和62年)の第1回入賞作品の中から少し紹介してみます。
「君といてシンデレラになりしクリスマス時計の針が少しうらめし」
(高1女子、兵庫県)
 
「文法にこだわる我の目を見つつ師は説き給う憶良の心」
(高2女子、岡山県)
 
「遠からずダムになりゆく林檎園に実りし「富士」が香を放ちいき」
(高1女子、広島県)
 
「写すだけ聞くだけの授業板につく自ら学ぶ術を失くして」
(高1女子、徳島県)
 
「世界地図広げてみてた授業中船にゆられた春の教室」
(高2女子、鹿児島県)
 
これらの作品の作者は、今年50歳前後でしょう。教室でののどかな授業風景(原風景)が思い浮かびます。その彼らは、今や、その子供たちが作品を応募する年代となっています。短歌は、時代を写す鏡のようであり、感覚の変化が伺われるものであり、時代の変化にゆるがぬ心を表現したものでもあるように思います。
 
次の作品は、その子供たちによる2021年(令和4年)の第35回入賞作品から抜粋したものです。
「ゴーグルの使用方法孫に聞くごめんねそれはグーグルなのよ」
(高3女子、岩手県)
 
「次はいつ会えるのかしらと泣く祖母の手も握れずにガラスと会話」
(高2女子、宮城県)
 
「レジの前ライン引かれて気が付けば等差数列みたいに並ぶ」
(高2女子、宮城県)
 
「『うるさいな』言ってしまった一言を細い身体の祖父見て悔やむ」
(高2女子、山形県)
 
「看護師の祖母が引退『おつかれ』とハグしたいのをはばむ世の中」
(高3女子、埼玉県)
 
「ピカピカに磨いたフルート出番なく涙にぬれたコロナ禍の夏」
(高1女子、埼玉県)
 
「不織布を『ふしき』と読んじゃう君だから不思議な君を僕は読めない」
(高2男子、千葉県)
 
「休日に壁越しに聞く会議の声優しい父の上司の一面」
(高1女子、千葉県)
 
「世界中飾り彩る十七色地球の未来の希望か枷か」
(中3女子、東京都)
 
「『今日濃いね』ポカリの味に気づく君好きの想いに気づくのはいつ」
(高1女子、東京都)
 
「アクリル板マスク消毒ディスタンス慣れたくなかったこんな生活」
(高2男子、東京都)
 
「時計地図写真音楽お財布も気づけばみんなスマホの中に」
(中2女子、東京都)
 
「わからない君の指し手も感情も誰か教えて恋の五手詰」
(高3男子、東京都)
 
「音のない世界で私達手で話す画面ごしでも笑い合えてる」
(高2女子、神奈川県)
 
「卒アルの写真撮影マスクとり初めて知った先生の素顔」
(高3女子、愛知県)
 
「役割に制服さらに呼びかたも男女で分ける必要あるの?」
(中3女子、京都府)
 
「鐘の音街中響く爆竹と伝統つなぐ精霊流し」
(高2女子、長崎県)

コロナ禍の2年目にあたる昨年でした。時代の申し子のような短歌が並びます。十代の研ぎ澄まされた心は鋭く反応し、心象の世界に取り込んで自分のものとする包容力を持っているように思いました。そして、女子の作品が多いこともその特徴の一つです。いや、京都の中3生が歌ったように、男子・女子と書くこともそぐわぬ時代でしょうか?

今年2022年、第36回の募集は、10月12日に応募が締め切られていました。その発表は、2023年(令和5年)1月16日だとのことです。若者の短歌ファンとして、作品との出会いを心待ちにしています。

※画像は、クリエイター・田川ミメイさんの、タイトル「行く、秋。」をかたじけなくしました。2022年の草木や花も暮れてゆくようです。お礼申します。