No.1143 心の旅路

今日は、古いネタにお付き合い願えますか?

「八十路女は 言葉使いで 身を飾る」(シルバー川柳) 

一生懸命生きて来たけれども、すっかり歳を取ってしまいました。もう、若い頃には戻れません。化粧品も、着物も、身を飾り付けるような高価なものは必要としないリタイアの生活です。むしろ、老いてみて、身を飾るのは「言葉遣い」だと気づいた句。凄い感性、素晴らしい発想!高齢に至っての人生哲学だと思われますが、何とも格調高い歌だなと私は思うのです。
以前、読んだお茶の本の中に、
「言葉は精神の装い、精神の着物」
というのがありました。何気ない言葉ですが、どんな言葉を選んで、どう表現するかは、その人格のなせる業でしょう。言葉の裏に精神があり、精神の裏には人が透けて見えるからだと思います。言葉に、だらしない装いをさせたくはありません。
男も女も理論武装が求められ、言葉でやりこめる企業戦士(モーレツ社員)の時代は、とうに過ぎ去りました。両肩に食い込むほどの鎧の重さは、その責任と覚悟の重さでもあったでしょう。それだからこそ、選ぶ言葉に毒を塗りつけたり、歓心を買うために魂を売ったりした言葉もあったろうと、我が身を振り返って恥ずかしい思いにもなるのです。
しかし、シルバーとなった今、そんな鎧を脱ぎ捨ててみると、己を語る言葉の何と貧弱なことよと思われてなりません。「前期高齢者」の称号をいただいた新元号誕生の前年(2018年)は、「言葉遣いで身を飾れる大人になりたい元年」にしたかったのですが、理性に鞭うって本音を語れば、「身に付いたのは、ぜい肉だけ…」という悲しい現実がそこにはありました。
そんなわけで、今年は、ひそかに、さりげなく「いつかは化けたい元年」と銘打ったのでしたが、新型コロナに振り回され、さしたる収穫もなく大晦日を迎えることになりそうです。トホホ…。

(仁の音「いつかは化けたい元年だったのに!」2020年12月30日より)

2020年12月6日から始めたブログ「仁の音」です。その25日目の冒頭の句、
「八十路女は 言葉使いで 身を飾る」
を紹介したくて書きました。たしなみある老女性(八十路女)の精神性にゆかしさを覚えます。もっと言うなら、惚れ惚れしちゃいます。七十路(七十爺?)の私には、真似のできない「心掟(こころおきて)」です。
 
ところが、その後「シルバー川柳」の入選句を初年度から確認したのですが、この句が見当たりません。いったい出典は何だったのでしょう?どなたかに教えて頂けたらと採録の挙に出た次第です。
 
今一つの理由は、私のブログを第1号から順に毎日読んでくださっている奇特な方というか、恐るべき方がおられ、その都度、私ももう一回読み直させて頂いている訳です。改めて読み返す中から、再び問い直す楽しみをお許しいただきたいと思って掲げました。私の中のちょっとした「心の旅」です。
 
「仁の音」と書いて「わがまま」とも読みます。ご寛容のほど…。


※画像は、クリエイター・はねさん〜心の居場所そらはねplaceさんの、今にも会話が聞こえて来そうな、可愛い、仲良しの、おじいちゃんおばあちゃんの1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。