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No.860 父のうしろ姿

春分の日から1か月が経ちました。「昼と夜の長さが等しくなる日」といわれますが、日本の場合、平均すれば昼が夜よりも約14分長いのだそうです。大差なきように思いますが、私の中では、ヘーボタンです。
 
春の彼岸から1か月も経ったんだなと思った時、ある人物を思い出しました。その方は、大分県の日出町に住んでいたFさんというお婆ちゃんでした。その昔、父が公民館で書道教室をしていた頃の年上の教え子さんだったそうです。
 
父は復員の後、社会の教師として高校の教壇に立ち、放課後は高校生や一般の方々に書道のお手伝いをしていたそうです。1975年(昭和50年)、在職中に54歳で不意の病に斃れました。戦後30年目のことでした。
 
父亡きあと数年間は、お盆や祥月命日や彼岸の頃に、父を懐かしみ悼んで下さる人々が訪れてくれましたが、次第に一人、二人と足が遠のいていきました。
「去る者は、日に以て疎く、生ける者は、日に以て親しむ。」
のたとえもあります。当然のこととはいいながら、父が忘れられて行くようで、家族としては寂しくもありました。
 
ところが、Fさんは、父の十七回忌の年にも足を引きずるようにして来てくださいました。わが山香町から日出町までは15kmほども離れています。バスの通らないわが村に、車で家族に送ってもらったり、タクシーを使ったりしながらのお参りでした。我々は、感激と感謝と畏敬の念でFさんをお迎えしていました。
 
それから数年後、
「足の具合が悪くお参りに行けそうにないので、今後は自宅からお参りさせて頂きます」
と母に電話をくださったのが最後となりました。
 
父が、公民館で老若男女にどんな書道の付き合い方をしたのか、Fさんは、時折り懐かし気に話してくれました。私は、人と人の心が響き合い、忘れ難い人との出逢いがあった父は、失くした時代を少しでも取り戻せたのかな、いや多くの幸せを頂いたのだなと本当に嬉しく思いました。
 
そして、それは、うしろ姿の父の教えでもあったのかなと思っています。


※画像は、クリエイター・川田まいこさんの、「こども習字書道墨」の1葉をかたじけなくしました。時間をかけて墨をする父の姿が重なりました。お礼申し上げます。