No.1257 昔はものを思はざりけり?
坐骨神経痛でしょうか?臀部から右足先にかけて痺れます。まさか、こんな形でシビレル男になろうとは夢にも思いませんでした。
わが国初の勅撰集『古今和歌集』の巻第十七、雑歌上、の889番は「題しらず 読人しらず」の歌ですが、往時を回顧した武勇伝と言えるかも知れません。
889「今こそあれ我も昔はをとこ山さかゆく時もありこしものを」
(今でこそこんなに年取っているが、私も昔はりっぱな男で、男山の坂をガンガン登って行くように、栄えてゆく時もあったんだぜ。)
ところが、同じく「題しらず 読人しらず」の次の890番歌は、タイムラグでもあったかのように一転した内容です。そして、心憎いばかりの対比です。
890「世の中にふりぬるものは津の国の長柄の橋と我となりけり」
(この世で古びたものが二つある。一つは、摂津の国の長柄の橋、もう一つは、他ならぬこの私だよ。)
さらに、次の一連の五首の「老い」の歌に、私は、おもいっきりやられてしまいます。
893「数ふればとまらぬものをとしといひて今年はいたく老いぞしにける」
( 流れるように速いから「年」を「疾(と)し」と言うのかもしれないが、数えてみると、本当に今年はひどく老いた感じがすることだよ。)
894「押し照るや難波の御津に焼く塩のからくも我は老いにけるかな」
(難波の御津で焼く塩が辛いように、つらいことに私は老いてしまったよ。 )
895「老いらくの来むと知りせば門鎖(かどさ)してなしと答へて会はざらましを」
(「老いらく」というものが訪ねてきて私を虜にすることが分かっていたのなら、門を固く閉ざして「お前に用は無いぞ!」と答えて会わなかったのになあ。)
この895番歌の左注には、
「この三(みつ)の歌は、昔ありける三人の翁のよめるとなむ」
とあります。恐らく、六歌仙か万葉の時代の老人たちの歌だったのでしょう。1100年以上前の老人の素直な心の叫びは「叫喚」だったでしょうが、今の私は、しみじみ「共感」してしまうのです。
『古今集』撰者の「老い」の追求は、こんな願望至極の歌も披露します。
896「さかさまに年もゆかなむとりもあへずすぐる齢やともにかへると」
(年月がさかさまに流れてもらいたいものだ。何もできないうちに過ぎ去った私の年齢が、年月と一緒に帰ってきてくれると思うから。)
「若返り」ならぬ「年返り」は、古代人もメルモちゃんの赤いキャンディーを切望したことがうかがわれます。勿論、21世紀の現代でも同じですが…。
あるいは何も気づかぬうちに「老い」を迎えてしまった自分を客観視する歌もあります。
897「とりとむるものにしあらねば年月をあはれあな憂(う)と過ぐしつるかな」
(流れてゆく年月を引き留められる筈もないのに、私は「ああ、素晴らしい!」とか「ああ、つらい!」とか勝手に言って過ごして来たのだなあ。)
時計の針は巻き戻せないことを知りながら、それでも無為の時を過ごして来た自分には、『古今集』のこの一続きの意図を以て据えられた歌が「これでもか!」と思いをぶつけてくるように思われるのです。
そんな事を思いながら読み進めていたら、平安時代初期の歌人・藤原敏行のこんな歌に出あいました。それは、この詞書(ことばがき)に続いていました。現代語訳してみます。
「同じく寛平の御代(宇多天皇の治世)に、清涼殿の殿上の間で、殿上人たちにお酒などをたまわり、管絃の御遊びが催されたときに、詠んで献上した歌 藤原敏行
903「老いぬとてなどか我が身をせめきけむ老いずは今日にあはましものか」
(このように老いて役に立たなくなったなどと、どうして我が身を責め恨んだのだろうか。もし、年を取って生き永らえなかったら、私は今日のこの良き日に会えただろうか。いや、会えなかっただろう。)
本当にそうですね。ちょっと救われたような気持ちになりました。なんだか、寅さんの「男はつらいよ」の中の名調子が聞こえてくるようでした。
満男「伯父さん、人間は何のために生きてんのかな?」
寅「うーん、何ていうかな。ほら、ああ生まれてきて良かったなって思うことが何べんかあるじゃない、ね。そのために、人間生きてんじゃねえのか?」
同じ男でも、寅さんにシビれます。あ、今は寅子さんにもシビれています。
※画像は、クリエイター・writer1623kitaさんの「寅さん記念館」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。「いよっ、寅さん!!!」