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No.730 人を偲ぶものがたり

かつて同僚だったその女性は、古希の月を見過して2年ほどで帰らぬ人となりました。過日、そのお別れの会があり、カーネーションを供養台に捧げ、ご冥福を祈りました。凛とした表情の中にも遺影の先に見ていたものは、残して逝かねばならない夫や、子供たちや、孫たちへの慈しみと無念のまなざしのように見えました。

私は、その昔、その女性の見せた姿と表情に忘れられない思い出があります。もう35年ほど前、高校野球の県予選大会の応援をしに球場に足を運んだ時のことです。私は、出場する学校側のアルプススタンドから応援し、激しい攻防戦の展開にハラハラしながら観ていました。

ふと、5歳と2歳くらい(?)の息子さんを連れたお母さんが野球応援に来ていることに気づきました。初夏の一日でしたが、人の少ない広い外野のレフトの芝生席のひと隅に腰を下ろして観戦していました。青い空のもと、緑の芝生の上で、ナイター用の照明ポールの黒い影と、家族3人の白い服の色のコントラストが鮮やかでした。

どの回の表か裏か、どちらのチームの攻撃だったか、全く覚えていませんが、一人の選手が特大のフライを打ち上げました。そのボールは、あれよあれよという間にレフトスタンドに飛び込みました。その時、大きな歓声が、一瞬にして悲鳴に変わりました。勢いある白球が、あの3人家族の幼子に当たったように見えたからです。ワンバウンドして当たったか、直撃したか、にわかには分かりませんでした。

その瞬間、お母さんは、ぐったりした我が子を抱き上げ、ネット裏の救護班のある大会本部に向けて走り出しました。なりふり構わず、しっかりと抱きしめて、それこそ必死に駆けて来ました。後ろから、兄も母親にすがるように追いかけてきました。観衆の視線は、その女性にくぎ付けになりました。近づいてきたその母親は、何と、あの同僚でした。

「誰にも渡さない。私が絶対に守ってみせる。」
彼女の苦痛にゆがんだ形相は、一方で強い意思をはらんでいるようにも見えました。その時の彼女の表情や姿が、スローモーションのように思い浮かぶのです。強い母親像、懸命に我が子を庇い守ろうとする母親像、「無償の愛」が髪を振り乱し、疾走していました。

あの広い外野へのホームランは、当たる確率など限りなく0%に近かったでしょうに、打球は1点に狙い定められたように飛んで行き、信じがたい光景を生みました。偶然が運命と思われるような「悲劇」を目の前で見、同時に母性が生んだ「真実の愛」を見たのでした。

悲劇の主人公となった幼子でしたが、その後遺症もなく、のちに野球少年となりました。中学・高校・大学と野球人生を歩み、今では、立派な社会人として活躍しています。喪主である父親の隣に付き添って、時折、母親の遺影に目をやりながら、お別れの会の参列者に気丈に応対していました。

私の中の彼女のあの残像が、癒されて行くように思いました。

※画像は、クリエイター・How'sitgoing?つながるイラストさんの、タイトル「5/9 挿絵」をかたじけなくしました。お礼申します。