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No.539 ユリの花をいただいたお礼に

昨日、親切さんが自宅から講座の教室にテッポウユリを一抱えも持参して下さり、聴講生の方々にプレゼントしてくれました。私も、おすそ分けして頂きました。思いやりの、いみじくて…。
 
ユリは、茎が細いわりに花が大きいため、風に揺れる姿が「揺すり」と呼ばれ、それが「ゆり」に変化したのが由来だとか。 テッポウユリは、その花の形が旧式の鉄砲に似ていた事からテッポウユリ(鉄砲百合)の名前を戴いたそうで、名前的には若輩者のようです。
 
テッポウユリの原産地は、日本(奄美・沖縄諸島)や台湾などだと知り、ヘーボタン。1775年~1776年に、オランダ商館付きの医師として出島に赴任した、スウェーデンの植物学者で医学者のカール・ツンベルクによって記録されたのが、その初めだといいます。また、約50年後に来日し、出島のオランダ商館医となったドイツ人医師で植物学者のシーボルトが、球根を持ち帰っており「イースタ・りり」として人気を呼んだそうです。

日本政府は、1873年の5月1日~10月31日までオーストリア(ハンガリー帝国)の首都ウイーンの公園内で開催された万国博覧会でテッポウユリを展示し、気品漂うその花の美しさが人気に拍車をかけたと言われています。花言葉は、聖母マリアの処女性を象徴している花との言われから「純潔」、花の香りから「甘美」、そして、堂々とした花姿から「威厳」などがあるそうです。
 
奈良時代の後半に成立したと言われる『万葉集』に、百合の歌は10首前後あると思われますが、その中でも好きな歌を2首紹介したいと思います。
「道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや」
 作者不詳(巻7・1257番歌)
「道端の深草百合のように微笑んだだけで、妻と言って良いものでしょうか?」
という意味でしょうか。「あなたは確かに私を見て微笑んだのだから、もうわたしのものだ」などと言う理不尽な男の言葉に答えた女性の歌の形をとっています。「深草百合」とは、緑の濃い草原に頭をもたげて咲く百合の美しさを言ったものだと思われます。百合の咲く様を「花笑み」と擬人化した味わいのある表現に「ほ」の字の私です。

「夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ」
大伴坂上郎女(巻8・1500番歌)
「夏の野の茂みに咲いている姫百合のように、相手に知られない恋は苦しいものです」
姫百合は、紅色や橙色の明るくて可憐な花です。夏草の中に隠れて咲く、30cm前後の丈の低い百合です。目立たぬところに居てそっと思いを寄せる、いわゆる「片思い」の、切なく苦しくやるせないもの思いです。「知らえぬ恋」は、古今東西変わらぬ恋の思いでしょう。少し大げさな表現ですが、「人類の世界言葉遺産」のような歌だと思います。
 
 以上、百合をいただいたお礼とさせてください。

【訂正とお詫び】
昨日のコラム538号「追い求める『真理と自由』」の中で、1945年(昭和50年)としてあったのは、1975年(昭和50年)の誤りでした。ご指摘を頂戴しました。お詫びして訂正します。