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No.1105 おっ母さーん!

「堀河院の御時、百首の歌奉りける時、春雨の心をよめる、
よも山に 木のめ春雨 降りぬれば かぞいろはとや 花の頼まむ」
これは『千載集』巻1・春歌上・31番の藤原基俊(1060年~1142年)の歌です。基俊と言えば、あの百人一首の歌、
「契り置きし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり」
の作者としても知られています。
 
さて、先の「よも山に…」の歌の「かぞいろは」とは「両親(父母)」のことを言うらしく、
「あちこちの山々に降る春雨は、木の芽を芽吹かせ、また花を咲かせる親のようなものだなあ。春雨は、植物を育んでくれるものだよ。」
という意味に解されています。実に面白い発想です。
 
その「かぞいろ」の神道の説明として、
「父が『かぞ』で縦の系統の数霊(かずたま)、母が『いろは』で横の系統の言霊(ことだま)を表し、数霊と言霊は相似象で万象と化成する。『こころ』と『行い』の両方がそろって神意にかなうとされている。」
とありました。「かぞいろは」の言葉は、その意味からも新鮮です。
 
今日は、2013年(平成25年)に逝った母の祥月命日です。墓参に帰ります。
 
「我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ」
1913年(大正2年)5月、東京帝国大学医科大学助手だった31歳の斎藤茂吉(1882年~1953年)は、母・いく危篤の報を受けとり、山形県南村山郡の生家へ急ぎました。この歌は、彼の「いろは」(母)が59歳で命の燃え尽きることへの慟哭の一首です。
 
わが父は54歳で鬼籍に入りましたが、母は85歳まで長生きしてくれました。しかし、幾つになっても「我を生まし乳足らひし母」の死は、数々の思い出とともに泣けて来てしようがありません。その涙もお供えにしましょう。
 
因みに、毎日新聞のコラム「余禄」(2022年10月28日付)には、
「(前略)語源は諸説あるが、今の辞書も父母を指す『かぞいろは』を収録する。江戸時代の手習い書は『父が数を教え、母がいろはを教えるから』と説明する。(後略)」
とあり、その分かり易い由来説に心が惹かれました。おっかさーん!


※画像は、クリエイター・鐘井ユウ🦉読書のすゝめさんの、赤ちゃんの1葉です。その笑顔が、たまりません!お礼申し上げます。