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No.581 つながっていた人の心が…

「新聞配達に関するエッセーコンテスト」(日本新聞協会)は、1994年(平成6年)に始まり、今年の10月で第29回目を迎えるそうです。「新聞配達や新聞販売所に関するちょっと良い話や心あたたまるエピソード、新聞配達の経験などを400字程度にまとめるもの」だそうで、新聞や新聞配達に関心を持ってもらうために始められたといいます。
 
そのコンテストの中で、特に忘れがたく、今もファイルしている作品があります。
 「一人暮らしの母の元に帰り、介護生活を始めたある日のこと。
 『読みもしない新聞、もう断るぞ』と言うと、認知症の母がキッとした目で、『そんなこと言わないでけさい、私の生きている証しなんだから』と私をにらんだ。
 そして要介護4の母がなおも続けた。『新聞取り忘れたとき、心配して何回も来てけだんだよ。孤独死してもすぐ見つけられっから、安心して暮らしてんだから』
 一人暮らしがボケ防止だと強がっていた母、心の中は不安と寂しさでいっぱいだったのだろう。
 母が逝って丸三年。その家で私が一人暮らしをしている。ザクザクと小砂利を踏む音が近づき、パサッと音がして遠ざかる。私は布団の中で手足を伸ばし、健康に朝を迎えたことを意識する。そして、新聞配達さんありがとう、私にも母と同じように安心を届けて下さいと、手を合わせる。」
 
このエッセイの作者は、「第20回新聞配達に関するエッセーコンテスト」(2013年)の大学生・社会人部門で最優秀賞を受賞した、当時66歳の男性(仙台市宮城野区)です。作品のタイトルは、「新聞は私の生きている証」です。
 
一人暮らしの父や母を田舎に残したまま出て行った(あるいは、出て行かざるを得なかった)子どもたちにとって、齢を重ねるだけでなく、身体が不自由になったり、病を得たりする親を案ずる気持ちはひとしおで、一日たりとも忘れた事は無いでしょう。親を残して家を出るのは、苦渋の末の選択とはいえ、「不孝」の二文字が心に重くのしかかる日もあるのです。
 
そんな時、新聞の配達員さん、郵便屋さん、移動販売の行商の人や隣近所の親切さんに、日々、どれだけ支えられていることか改めて思い知るのです。筆者にとっての母の一言は、両手を合わせて拝みたいほどの身近な人々の有り難い存在でした。感謝すべきは、神様だけではありませんでした。
 
私も、母を田舎に一人残して大分市に出た男です。この作品の一文一文が、鞭のように響きます。母の心細さは、いつも変わらぬ笑顔で隠されていましたが、我々と別れた後の仮面の表情に変わる母の顔を想像すると、胸にこみあげて来るものを禁じ得ません。私たち兄妹が、こうして生活して来られたのは、田舎暮らしの孤独に気丈に耐えてくれた母のお陰だといっても過言ではないからです。そこにも、新聞配達の方の影がありました。
 
日本の新聞は、高度経済成長期の1960年代に3,000万部に至り、1990年代末には5,000万部を超えるまでに拡大しました。しかし、21世紀に入り、全国の新聞購読数は下降の一途を辿っており、2022年には3,000万部を割り込むことも予想されているといいます。活字離れが加速し始めた上に、スマートフォンによる新聞の電子版を利用したり、スマホ新聞のアプリが浸透し始めたりしたことも一因でしょう。新聞配達を通して繋がっていた人の心が、それでなくても希薄になりつつある時代の一つの象徴のように思えて来るのです。
 
母は、2014年12月、「私(の年齢)を超えなさい」という最後の宿題を子どもたちに残して85歳で逝きました。私が、あの作品に胸を打たれた翌年のことでした。