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文アルの新美南吉って「二ひきの蛙」をコロしたんだ。へぇ。で、他の文豪は?

2年前にアップロードした
東海道・山陽新幹線沿線の南吉ファン向け!安城・半田の移動案

新美南吉記念館×文豪とアルケミストのタイアップ用に細部を書き換えようと思ったんだけれども、平静でいられないのでなかなか筆が進まない。

私に嫌がられた程度じゃノーダメージだろうし、
文アル運営や文アルユーザーが記念館でギャーギャー騒いだ程度じゃ槍もて追われたり焼き討ちされたりはしないから、何をやっても「許された!」と思い込んで終わりなんだと思うと。

でもひょんな事から文アルの新美南吉って、不幸な事故設定でモチーフに過ぎないとはいえ「二ひきの蛙」をコロしたんだって事を知ったんだ。へぇ。

同時にTLで神戸文学館が三回も文アルとタイアップしてくれてるらしい事を知ったんだ。

「神戸文学館×文豪とアルケミスト 蘇る神戸ゆかりの文豪たち」
は引き合いに出して申し訳ないと思っている。

さて、文アル運営もユーザーも文アルとタイアップしてくれる各地の文学館に絶対それ(シぬはずじゃない主役をコロした)言ってないだろ。

ああ、解ってるよ「不幸な事故設定でモチーフだから著作は改変されてない!」って言いたいんだろ?
ここの文章は私個人の感想だ。
文アル運営や各文学館に要請するつもりは全く無いし、この程度なら言論弾圧にもならない。
ただ、タイアップが始まる前にケジメとして書き残しておく。

さて、金沢の文学館や神戸文学館等々に絶対それ言ってないよね?
「シぬはずじゃない登場蛙物をコロしたのは金沢にも神戸にも縁がない作家なので。貴方たちは大丈夫なので」なんて言ってないよね。

いや違うか。
「文アル転生文豪で、シぬはずじゃない作品の主役をコロすのは新美南吉だけです」という保証は1つも無いんだった。
主人公だいたいみんなシぬ作風以外の転生文豪全員に自作品の主役をコロす可能性が内包されてるんだった。
三回もタイアップしてくれてるらしい神戸文学館等々に絶対それ言ってないだろサギかよ。

文アルとタイアップしてくれる各地の文学館に
「お前の所は大丈夫だから」
とか
「ごんぎつね作者はお前の地元とは無関係だろ?」
とか
「まあ、他の転生文豪がやらない保証はないがな」
とか言ってないだろ?

なんか悔しいから具体例を挙げよう。
引き合いに出して申し訳ないが「神戸文学館×文豪とアルケミスト 蘇る神戸ゆかりの文豪たち 其ノ参」

永井荷風・島崎藤村・志賀直哉・岩野泡鳴・尾崎放哉・柳田国男・河東碧梧桐・徳田秋声
とタイアップしているのね。
以前を含めれば、
堀辰雄・谷崎潤一郎・夏目漱石・正岡子規・小泉八雲・高浜虚子・横光利一・江戸川乱歩
を扱っているのね。

彼らの作品の中で、

「シぬはずじゃない主役なんだけどコロしてもいいや」


と思えるものはどれですか?
主役という概念があまり無さそうな俳人と、フィールドワークなどで収集したであろう民俗学者と、再話がメインであろう小泉八雲は外して良いです。
小説家の作品でいいので、文アル転生文豪の手でコロしてもいい主役を挙げられますか?
もちろん不幸な事故でモチーフだから著作は改変されません。

……とでも書いて公開しようもんなら、
永井荷風・島崎藤村・志賀直哉・岩野泡鳴・徳田秋声・堀辰雄・谷崎潤一郎・夏目漱石・横光利一・江戸川乱歩
の読者が
こぞって
「コロしてもいい主役」を紹介してきそうで怖い。

もしくは
「転生文豪新美南吉がシぬはずじゃない作品の主役をコロすのは違和感ない
けど、
他の転生文豪は違和感あるからNGで」
みたいなむちゃくちゃな事を恥ずかしげも無くほざいてくるか。

話は変って

「創作と史実は違うのだから」という理由を濫用すれば二ひきの蛙のシでも文アルを擁護できると思う。
それでも小狐が火縄銃で戦っているのは、史実とは一切関係ない純然たる文アル運営のセンスだ。

ただ、二ひきの蛙のシ回想は文アルユーザーでも知らない人は多いと思う。
でも小狐が火縄銃で戦ってるのは知ってるだろ?
しかも7周年記念で銃文豪の弾丸は作品だと肯定してくるとか正気かよ。

「石川啄木の作品には拳銃モチーフがある」?
「詩は感激の弾丸である、は河東碧梧桐の遺した言葉」?
そうなんだ。
へぇ。
じゃあ、その2人の銃口は誰に向いているんでしょう。
他の銃文豪の銃口は誰に向いているんでしょう。
シんでない二ひきの蛙すらシぬのが文アル世界なんだ。
害獣小狐なんぞいつ銃口が向けられるのか解ったもんじゃない。

念のために確かめておきたいんだけども、他の作家で著作由来の武器を持っている人いる?
ここまでなら石川啄木がそうだと聞いたことがあるけども。

じゃあ、著作で大切な誰かをコロした武器を持って戦っている転生文豪はいる?
刃か銃だけでいいよ。

具体例を挙げるなら、小狐が猟銃で戦うのは、森鴎外が剃刀で戦う感じなんだろうね。
剃刀は高瀬舟で印象的な使われ方をしたから。
(終わり)

PS.怨みつらみを書き連ねるのって本当にキツいな。
心がガンガンすり減っていくのを感じる。

どうせ
「自分の推し作家と無関係の蛙がシんだ所でだからなに?つーかあんな子どものイタズラなんて大人たる私の推しがやる訳ねーじゃんwww文学館にチクられても痛くもかゆくもねーわwww」
くらいにしか思わないであろう連中向けの気軽なnoteでこの体たらくだ。

具体的な運動をする人たちには頭が下がる。怒り続ける事ができるのって一種の能力だと実感できる。

でも7年折り合いをつけて7年物わかりの良いふりをしていたら、地域の子どもが集まる場所に文アルがやってくるなんて事になったんだ。

私は畢竟、南吉記念館と文アルのタイアップが、誰も傷つかずつつがなく終わればもうそれいいと思っている。
でもこれ『だけ』が無事に済んでくれと願うのはとても虫が良いとも解っている。
自分を無辜の位置におき、他者を糾弾するなど卑劣そのものだ。
もっと怒るべきだった。私はこの7年、もっと怒れたと。
目の前に火の粉がやってきてから慌てるとかダメの典型例すぎて自分が情けない。