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アヤワスカ体験の帯域

おきひかる 2004年

目次
はじめに
(1)幾何学的ヴィジョンの帯域
   (いわゆるサイケデリックヴィジョン)
   (性的エクスタシー)
(2)深層的ヴィジョンの帯域
   (無数のミミズに氾濫)
   (嘘をついては光に出会えない)
   (毛糸玉のヴィジョン)
   (あるがままに感じる)
(3)超正気の帯域


はじめに

 ずいぶん以前のことになるが、ブラジルから日本にサントダイミ教のシャーマンがやってきて行ったワークに何度か参加したことがあった。
 もっとも、わたし自身は、ダイミ教のキリスト教と習合した儀式に対しては、一定の距離をおいていた。皆が起立して、創始者に敬意を表しているらしい歌を歌っているらしいときには、私はけっして起立しなかった。また、キリストやマリアが登場する聖歌の歌詞は、熱心に歌おうとせず、中でも嫌いな歌の際には、トイレに立ったりもした。
 だが、そのようなわたしでもワークに参加することを許されるのが、サントダイミ教の寛容な点である。
 ダイミ教は、ある角度から見ると、カトリックの伝統から来る煩瑣な儀式を伴った宗教のようにも見える。しかし、一方で儀礼を熱心に押し付けてくることはなく、全体の調和を大きく乱さない限りは、誰でも参加を許される。皆がポルトガル語の聖歌を唄っているときに、沈黙していようが、寝そべっていようが、叱られることもない。それどころか、聖歌の載っている本について、どうすれば手に入るのか質問しないかぎり、売ろうともしない。
 唯一、必ず守るように言われるのは、ダイミによる旅の間は、トイレ以外、部屋を離れないようにという決まりだ。これは、参加者の安全な「旅」を守るという意味では、きわめて実際的な取り決めだということができるだろう。ポジティブな祈りに満ちた聖歌を、皆で合唱し続けている部屋の中は、個的なバッドトリップに陥りにくい環境が保たれているからである。
 サントダイミ教が、宗教としての教義的なものを参加者に押し付けようとせず、それぞれの参加者のスタンスに寛容な態度をとっているのは、おそらく「教義よりも、ダイミを飲むことによってひとりひとりが見るヴィジョンそのものが、真実を開示している」という考え方が根底にあるからだと思う。このような点で、ダイミ教は「開かれた宗教」であると言うことができるだろう。
 一般的に宗教における教義とは、誰か特定の個人のヴィジョンを絶対化したものだと言える。この『絶対化』という点に、宗教における数多くの弊害が生じる。もちろん、特定の個人が深い自己理解に基づいて、かなりの普遍性がある意識の地図を描くことはありうる。それはそれでとても参考になる。
 だが、いずれにしろ地図は地図にすぎない。その地図を参照にしつつも、各人は、自ら道なき道を踏破して、意識のあらゆる帯域を体験し、越えていかなけれぼならない。そうでないと、それは生きた宗教とは言えない。
 だから、地図を与えるだけではなく、自らが探索の旅に出られるテクノロジーを有したスピリチュアルな伝統が、私は好きだ。瞑想や、サイコセラピーの数多くのテクニック、電子テクノロジーやフローテーションタンクを使った内的探求。また聖なる植物や、ある種の化学物質を用いた意識の探求。そのようなワークを通じて、各自が各自の意識の地図を描き、参照しあい、共通点や相違点を確認し、統合できる点は統合してみる。そして、またひとり内なる旅に出ていく。
 このような事を繰り返す中で、21世紀の意識の探求は続いていくはずである。教義を押し付けず、個々のヴィジョンを大事にする事を許されるダイミ教の在り方は、まさしく21世紀の精神探求のあるべき姿のひとつを、表していると言えそうである。

 今回、この原稿では、私は自分自身のアヤワスカ体験 (サントダイミ教では、この飲み物をポルトガル語でダイミと呼ぶが、ここではダイミ教の枠を越えるアマゾンの言葉でアヤワスカと呼びたい)に基づいて、見たこと、感じたことをスケッチしてみたいと考えた。
 その方法論であるが、時系列に沿って私の体験を叙述していくのが、最も単純な方法ではある。しかし、それでアヤワスカ体験の構図のようなものを素描できるかどうかには、疑問があった。
 そこで、私はおおまかな構造として、アヤワスカ体験の三つの帯域というものを考えてみることにした。アヤワスカ体験を、その深度において、仮にその三つのレベルに分け、整理して考えてみたいと発想したのである。
 この構図は、もとより絶対的なものではない。ただ、体験の整理の仕方として、私が仮に選んだものにすぎない。元来、深度別の帯域などというものは、分類の仕方によって幾つにでも別れる。虹を三色と見るか、七色と見るか、千と一色と見るかは見る側の選択によるように。だからここに示すものも、わたしの恋意的な分類にすぎないのであるが、私はアヤワスカ体験を二つの帯域に分けて考察してみることによって、何かが見えてくる気がして、この構図を選んだのである。

 その三つとは①幾何学的ヴィジョンの帯域、②深層的ヴィジョンの帯域、③超正気の帯域である。

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