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私は何者か、348


後悔とな。いや、聞き間違いか。航海というならば、あのフェニキアの航海士。今もどこかの海で波と共に暮らす。ガラス瓶のなかの魂を、いくら飲み干しても、満たされることなく、風に向かうその背中はどれほどの寂しさを担いできたことか。束にして背負い、無人島に投げ棄てて、それでもまた背中に重さを感じる。目には見えずともわかる。その頬に薄く暗く翳を宿し続ける。満たされぬ思いを人に向け、恨むなどと、そんな浅はかな真似は到底できそうもない。苦虫とは友達である。噛み砕いても、また、現れる。そんなことは百も承知で、だから、いっそ、友達に、と。風の強い日には、ついつい思い出す。波間に放たれた一等美しく小さなガラス瓶が、追いかけても追いかけても届かないところへと漂うのです。生きてある私にはもう届かないものなのかと。私の後悔の航海が始まったのであります。いつだったか、若かりし頃のわたくしも恋をして、輝いていたのです。恋したら輝くなんて、あなた、普通すぎやしませんか。ええ、それはそうなのですが、抗いようのない、なんと言いますか、感じたことのない感覚なのです。あと、一歩で届く。あと、わずかで叶えられる。そんな日々。それを私は、失くしたのです。失くしてしまったのです。もう二度と見ることも触れることもできない。その苦しみから逃れようと航海に出たのです。私はそれ以来、死ぬことができません。どんな嵐に出会い、水も、食べ物も無くなり、それでも、生き続けるのです。他人の後悔を背負い、望みを貪り、波に漂うたった一つの魂を探し続けている。出会うまでは、自身の奴隷。見て見ぬふりの表と裏。



飽きもせず眺めるものに春の波足裏擽る海神の息


私は何者か。


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