私は何者か、386
深い知識など必要なのか。
その思慮の深さにも届かず。
長いと言えばいえるし、短いと言えばそうだし、そんな旅のなかで、けれど、ずっと自分の思いのままにきたような気がする。
しかし、それはみな、そんなふうに思うのであろう。
どんなふうに生きてきたのか。
他人がよく考えるような、何かを捨ててでも、得たいものがある。とかいうことではなく、折り合いをつけて、つけて、つけまくってきたものでもある。
そして、それも、また、他人と同じなのであろう。
何も、何の、違いもないのである。1,000分の1に明け暮れ、その、食い違いに明け暮れ、あなたは誰。
ノルウェーサーモン、青紫蘇、豚トロ、自家製胡瓜のもろキュー、トマトのマリネ。ビール。一緒なら、ほんまに美味し。リラックス。足の不調は、誤診。今、何とか、治る兆しが見えて、元気になる私。
一生懸命生きて、戦うなどと。
それは錯覚。普通にまっすぐに進むもの。
でも、
そのせいで、足の不調。なのか。
原因不明と言われては、省みることこのうえなく。じゃ、怖いのか、怖くないのか。ひとりなら耐えられるのか。困惑しながらも一人でないことはラッキーなのか、アンラッキーなのか。
待って待って、一人でないなどと、かんじるとは。
不覚。
その胸に預ける我が身。
不覚。
不覚にも、涙。
大したこともない、が、
ゆれる。
わたしは何者か。
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