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心がつかれた時の話。

2024.2.27_Tue_🌨️

今日は私がうつ病と診断された時の記録を書こうと思う。(今はとっても元気です)


1.私の性格

私、ISFJです(^ ^)
私は昔から周りの人の反応がすごく気になってしまう人間で、仲良くない人には無意識のうちに心の壁を5枚くらい建てて気を遣ってしまう。
でも1度心を開けばあっという間に壁を壊し、その人とゼロ距離になる。(たぶん依存体質)
硝子のハートを持っているので、何かの拍子に簡単にヒビが入ってしまう。
所作は大雑把でがさつなのに、心は繊細。
人に頼ることが苦手で1人で抱え込みやすい、そんな性格だ。
なので、小中高大どの時代でも人間関係での悩みが発生していたし、1人でいるのは寂しいけど、たまにどうしようもなく1人になりたくなった。

2.どんな症状がでたのか

あれ、なんだか調子がおかしいな、と思ったのは今までで2回。
大学4年の春と、社会人2年目の冬で、症状は下記の通り。

・不眠
・朝に布団から起き上がれない
・お風呂や歯磨き、トイレさえも億劫になる
・インスタやLINEなどのSNSを見ることがつら
 い(Twitterはいける)
・映画やドラマを観ても話が入ってこない
・学校、会社に行こうとすると吐き気が止まらず
 休むことが増える
・お腹があまりすかない
・ずっと不安な気持ちを抱えている
・涙が止まらない時がある
・休日に人と会って遊ぼうと思えない
・趣味(お笑いや音楽が好き)に興味がなくなる

今になって振り返ると、自分で気づいた時にはわりと良くない状態だった気がする。
だけど、友達、家族、教授、上司の誰にも話せないし、どうせ分かってもらえない。
発病前の私は、
「精神疾患は心の持ちようでどうにでもなる」
と考えていたので、こんなことで病院にも行けないし、私レベルの症状の人が病院に頼るのは甘えだと思っていた。(自分の中の「何かおかしい」は病院に行く理由には十分です)

3.発病の要因について

大学4年の春は、就職活動という、いよいよ親に頼らず自分で人生を決断する行為が不安でたまらなくて、内定も決まらず焦っていたのが原因だった。
その時は、自分の体に鞭打ってなんとか面接を進め、内定がでたら自然と症状は改善した。

問題は社会人2年目の時だ。
この時の原因は、職場での人間関係のストレスと労働環境、仕事量だった。
また、会社の待遇からなにをモチベーションに仕事をすればいいのか悩んでいた。
12日あった有給を1ヶ月そこらで沢山消費して、残りの有給が2日になったところで上司から「面談をしよう」と連絡があった。
面談は直属の上司ではなく、女性の社員とお話しした。
その時に初めて、今の状況を話せた。
勝手に涙が出た。
この時、人に話すことで少し楽になるということに気づけたし、あまり関わりのない先輩だったこともあり逆にすらすらと話すことができた。
その方からは、
「有給が無くなってしまうと欠勤扱いになるから、休職するために精神科を受診して診断書をもらってきなさい」
と言われた。
私は指示のままに家の近くのメンタルクリニックを受診した。(たまたまその日に予約が取れた)

病院でいくつか心理テストみたいなものを受け、「うつ病」と診断された。
先生には休職するかこのまま仕事を続けながら通院するか選んでと言われて、悩んだけど休職を選んだ。
診断書に書かれた「うつ病」の文字。
まさか自分がなるなんて、と思ってショックだった。悲しかった。休職して給料がなくなることが不安だった。生きていくことが不安だった。
それと同時に「これでやっと休める」とも思った。
ああ、自分は疲れていたんだなと感じた。

4.治療中のこと

休職したての頃は、一旦これからのことは考えず、休むことを意識した。
睡眠薬を飲んで沢山寝る、陽が出ている内に外出する、本を読んでスマホを触る時間を減らす、の3つを特に意識して過ごしていた。
医師的にも、とにかく太陽の動きに沿った生活が大事らしい(早寝早起き)。あと運動は効果があるみたい。
最初はその当たり前の生活が難しかった。
普通に生きることを頑張った。
毎日不安が襲ってくるけど、それは意識して知らないふりをして思う存分休んだ。
3週間くらいはずっとしんどかったけど、毎日処方された抗不安薬を飲んでいたら、ある時ふと動きやすくなった。
睡眠ってすごく大切だと学んだ、3大欲求なだけある。

かなり悩んだことは、恋人への打ち明け方だ。(家族は遠方に住んでいるため、すぐに話さなければいけない状況ではなかった)
正直「うつ病の彼女」なんて必要ないよな、ただの恋人(しかも中距離)を支えるのなんてめんどくさいよな、振られてしまっても当然だなと思った。
でも、すごく怖かった。
今振られたら私はだめになると思い、一緒に背負って欲しいと心の中では思っていた。
結局、休職したその日に1ヶ月休むことにしたとだけ伝え、3日後にその経緯を電話で打ち明けた。
沢山泣いて声を詰まらせながら話す私に、恋人は優しく相づちを打って聞いてくれた。
恋人は「頑張ったね、つらかったね。気づいてあげられなくてごめん。ゆっくり休んでほしい。遊びたくなったら一緒に出かけようね」と言って、一緒に泣いてくれた。救われた。何よりも暖かかった。
強張っていた心がほぐれていく感じがした。

1ヶ月ほど休んだ頃、再度復職に向けての面談をするために出社した。
産業医の人と面談してる中で、休職前の環境を思い出してまた涙が出た。
戻りたくなかった。
産業医には、「もう1ヶ月休んでみたら」と勧められた。
またショックだった。
体感は十分すぎるほどに休んだのに、改善していない。本当に良くなる日は来るのだろうか、それとも一生通院なのだろうか、不安だった。
私の通院先は、良くも悪くも心に寄り添う感じではなく、病気の治療というスタンスなので、この時期は病院も少し億劫だった。
診察もいつも3分くらいで終わる。
メンタルクリニックなんだから患者の話沢山聞きなさいよ!とか思っていた。

お金も減ってきて不安だったけど、また休む決断をした。

この時期に、似たような症状が出て退職した友達に声をかけて飲みに行った。
ことの経緯を話すと、
「レイちゃんよく頑張ったね。レイちゃんは頑張り屋さんだから限界がきてても言えなかったんだよね。今はゆっくり休みな!私は半年も休んだよ笑」
と言ってくれた。
気持ちを軽くしてくれたこの人のことを、一生大事にしようと思った。

恋人には、
「うつの人の側にいると影響されて、自分まで暗い気持ちになるかも知れない。もし少しでもそうなりそうな予感がしたら、迷わず私から離れる選択をしてほしい」
と伝えるつもりだった。
今日言うぞ!と迎えたデートの日。
彼は電車に乗っている時に、
「レイが次の会社決めたらさ、ちょうど間くらいで家借りて一緒に住みたいね。〇〇(駅名)とかいいかなと思ってて〜」
と何気なく話した。(元々いずれこの仕事辞めるとずっと話していた)
2人の未来を描いてくれているんだなと思って、涙が出そうになった。ぎりぎりこらえた。
すごく嬉しかった。

家に帰って寝る前に、さっき書いたことを話した。
また涙が止まらなかったけど、恋人は静かに聞いてくれた。
「僕影響されるタイプじゃないから平気だよ。レイを支えてあげたいと思っている。けど正直、周りに精神的にまいった人がいたことがないから、何をしてあげたらいいか分からないし、レイが薬の影響で電話で話した内容をまったく覚えていない時があって、すごく怖かった。だから、早く元気になってほしいなと思ってるよ」
彼も泣きながら伝えてくれた。
正直な気持ちを伝えてくれて、嬉しかった。
この人のためにも、早く元気になりたいなと思った。

今度は少し元気だったので、休み中に転職活動もしてみた。
意外にも、新卒の就職活動より簡単に面接に進めた。その時に、ふと「今の会社を辞めた方がいいかもしれない」と思った。
転職先は決まっていないものの、これ意外と人生どうにかなるんじゃね?と思えるようになった。
その心の変化が嬉しかった。
何よりもう2度と会社の人と面談で関わりたくなかったので、支社長に電話で退職の意向を伝えた。
社長クラスの人に直電は失礼極まりないけど、関係なかった。こっちは人生がかかっているのだ。
この考えに至れる時点で、大分復活の兆しが見えていたと思う。

無事退職手続きを行い、2月半ばに転職先も決まった。お金も底をつきかけていたので、本当に良かった。
仕事を辞めた頃には、趣味に時間を費やしたり、SNSで友達の生存を確認したり、恋人とのデートを楽しめたりと、大分アクティブになれていたと思う。

心がしんどくなってからここまで4ヶ月くらいかかった。
ずっと1人で抱えていたらこんなにすぐには復活できなかった。
むしろ、ずっと悩んで今も苦しい時を過ごしていたと思う。

正直、次が決まっていない中で仕事を辞める時はすごく勇気が必要だし、全くレールがない未来に飛び込むことも怖かった。
だけど、意外とレールは自分で引けるし、人生は思っているより上手くいくことが多いのかもしれない。
(今年の運勢が大吉だからかもしれない)

5.発病してから得られた考え

この病気になって良かったことは、人への頼り方や自分のキャパを知れたこと、そして何よりこの苦しみを理解できる立場になったこと。
私は自分自身が経験しなきゃ、ずっと「精神疾患は気の持ちよう」と思い、そういうことで苦しんでいる人のことを分かろうともしなかったと思う。
だけど、それは全く違う。
精神疾患なんて、なりたくてなってるわけないし、サボりたくて通院してるわけじゃない。
医師でも簡単に判断できない心の悩みを抱えながら、人生を終わらせたいって気持ちと戦って、何とか毎日を過ごしているんだ。
必死に生きているんだ。

少し前の自分なら持ち得なかった視点。現代において必要な「そういう人もいるよな」の視点。
これを取得した人間になって心底よかった。

この辛かった経験も、結果良い学びに繋げることができた。
何より、この辛い時期に寄り添ってくれた恋人、
帰省したら美味しいご飯を沢山食べさせてくれた家族、何でもない話で沢山笑わせてくれた友人に、この上ない感謝を伝えたいです。
ありがとう💐
恋人の貴方とはぜひ結婚したいものです。プロポーズでもしようかしら。

そして何より、私の近くで同じ気持ちで悩んでいる人がいたら真っ先に気付いてあげられる人間になりたい。
それでご飯を食べたり、一緒に散歩してみたり、温泉に行ったりと、とにかく一緒に当たり前を過ごしてあげたい。(私的には、病気を気にもとめないこの感じが1番ありがたかった)
もちろん、自分のことも労って大切にしてあげようと思う。

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