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MAアシスタントからサウンドデザイナーになれた流れ。その1。



自己紹介

皆様お疲れ様です、沖田純之介の自己紹介は以下になります。

今回はアシスタントだった自分が、どのようにしてサウンドデザイナーになったのかを記載してみたいと思います。業界人向けという事で映えるような写真等は場合は入れません、極力当時の写真を入れていきます。文字だらけになりそうですがご了承くださいませ。

高校時代に音作りの楽しさを知ったM1。

業界入り

高校生から音楽制作をしており、卒業の頃には自主制作でCD発売をしてました。自宅にはAvidが入ったMacがありDigital Performerというソフトで音楽制作をしてました。
その状態で見習いとして業界に出入りし始めたのが18歳の頃。
自分は音作りをしたかったので、それ専攻で勤め先を探していたのですが、スタジオによっては音効部があっても、既存のライブラリーのみで仕事をしている所が多くありました。
そんな中、ポスプロなのにシンセが沢山やシンクラヴィアがあるMAスタジオがありまして、テレビの仕事が多かったのですが、そこに出入りし就職することになりました。
学生のうちはそこに通って、バンタムキャノンのケーブルを48本も作った記憶があります。根性を試されていたんでしょうね。

Roland SHシリーズは殆ど持ってました。当時は無料同然の金額でした。

音作り

自分は「ライブラリーの元になる音を作れなければ先がない」と考えておりシンセサイザーを多く購入しておりましたが、それを見た先輩方は「著作権フリー音楽や効果音CDを買わないと仕事こないよ」と教えてくれました。自分は「違うそうじゃない」と考えていたのですが大量生産という時代の流れもあり効果音ライブラリーそのままではなく、それを加工して使う、という仕事の仕方になっていきました。特にテレビ番組は質は求められないので効果音CDを使い、極力早く仕事が終わる方向で進めておりました。

効果音はシンクラヴィアで作る事も多かったです。

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